やかな技巧を持つており、クレールほど泉のように機知を湧かす映画作家を私は知らない。
彼が最もすぐれた喜劇作者であるゆえんは一にこの技巧と機知にかかつている。
彼が持つ精鋭なる武器、斬新なる技巧と鋭角的な機知をさげて立ち現われると我々はそれだけでまず圧倒されてしまう。
技巧と機知を縦横に馳駆する絢爛たる知的遊戯、私はこれをルネ・クレールの本質と考える。
クレールの個々の作品
以上の本質論からいつて彼の技巧と機知が目も綾な喜劇を織り上げた場合に彼の作品は最も完璧な相貌を帯びてくる。
たとえば「ル・ミリオン」である。「幽霊西へ行く」である。
「自由を我等に」「最後の億万長者」のほうを上位に置く人々は、彼の本質を知らぬ人であり、その諷刺を買いかぶつている人であろう。
「自由を我等に」は作の意図と形式との間に重大なる破綻があり、「最後の億万長者」の場合は思想のない諷刺のために息切れがしているのである。ことにあのラストのあたりはつまらぬ落語の下げのようで私の最も好まぬ作品である。作全体の手ざわりもガサツで、絶えずかんなくずの散らばつているオープン・セットを見ている感じ
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