つて探さねばならぬが、そんなことは容易にできることではない。次に、彼女の物の置き方、並べ方はことごとく彼女の抱いている美の法則によつて支配されているので、実用上の便宜というものは一切無視される。どんな不便を忍んでも彼女は自分の美を守り通そうとする。ときに私が抗議を申し込んでみてもとうていむだである。
料理。結婚当初の半年くらいは、晩飯の食卓に料理が十品くらい並んでいた。ほかに何もすることがないので、私の働いている間中、晩飯のこしらえばかりやつていたのである。しかし、いつのまにか、だんだん品数が減つて、子供の世話に追われるころには「今日は沢庵だけよ」などということになつてしまつた。その子供も今は手が抜けて、妻はふたたび豪華な食卓を飾りたくてたまらないのであろうが、いかにせん、何も材料がなく、あつても買えなくなつてしまつた。
妻の料理の中で最もうまいのは、何といつても郷土風のちらし寿司である。季節は春に止めを刺すので、材料はたい、にんじん、たけのこ、ふき、さやえんどう、しいたけ、玉子焼、紅しようが、木の芽などである。
洋風のものではフランス料理を二つ三つ聞きかじつて知つている。ただし、おでんと天ぷらだけは亭主のほうが造詣が深い。
趣味
まず衣服であるが、全部和装ばかりで数もごくわずかしかない。洋装は何か妻の空気と合わないような気がする。当人も「私が洋服を着たらモルガンお雪みたいになるでしよう」と言つている。このモルガンお雪というのはたしかに感じが出ている。着物はほとんど全部私が見立てて買つたものばかりだ。もちろんどれも十年も前に買つたものばかりであるが、いま取り出してもまだ渋いようなものが多い。帯は二本か三本しかない。そのうちの一本は私が描いてやつたものである。絵は梅の絵で、右肩に『唐詩選』の句が賛にはいつている。それがちようどお太鼓の所一ぱいに出る。地は黒じゆすで顔料は油絵具のホワイトを少しクリーム色に殺して使い、筆は細い日本筆を用いた。
妻はよほどこの帯が気にいつたとみえて、十年ほど、どこへ行くにもこれ一本で押し通したため、しまいには絵具が剥げて法隆寺の壁画のようになつてきた。それで五、六年前に新しく描き直してやつた。だから今のは二代目である。いつたい、妻は着物はねだらないほうである。着物はかまわないから家具を買つてくれという。好きな家
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