場だつたから、どうやらやつては行けたが、彼女の衣類が質屋に行つたことも一、二度あつた。昭和八、九年ごろから十三年ごろまでは一番楽な時代で、この間はずつと八百円くらいの月収があつたから、保険をかけ、貯金をし、家具を備え、衣類を買うことができた。
 昭和十三年に私が発病してからは彼女の御難時代で、ことに現在では当時の半分しか収入がないうえに、物価が百倍にもなつたため貯金を費い果し、保険を解約して掛金を取りもどしたりしたが、それもほとんどなくなつた。昨年の秋からは、妻にも明らかに栄養失調の徴候が現われ始めた。要するに、現在は妻にとつて結婚以来もつとも苦難の激しい時である。
 育児。確かに熱心ではある。しかし、女性の通有性として偏執的な傾向が強く、困ることも多い。勉強などではとかく子供をいじめすぎる。もつともこれはどこの母親も同じらしい。去年の春、子供が潁才教育の試験を受けたときなどは心痛のあまり病人のようになつてしまつたのには驚いた。どうも母親の愛情は父親の愛とは本質的に違うようだ。食糧事情が窮迫してからは、ほかからどんなに説教しても自分が食わないで子供に食わせる。そして結局からだを壊してしまう。理窟ではどうにもならない。
 裁縫。きらいである。そのかわり編物は好きらしい。それにミシンがあるので子供のものだけは家で片づいてゆくが、大人のものはよそへ出す。それでいて裁縫がへたではない。一度妻の縫つたものを着ると、他で縫わせたものはとても着られないくらいだ。ただあまり丁寧な仕事をするため、時間がおびただしくかかり肩がこるらしい。
 掃除と整理。これはもう極端に偏執的である。たとえば自分の好きな所はピカピカ光るほど磨き上げるが、興味のない所は何年もほこりが積み放しになつている。家の中のある部分は神経病的に整然と物が並び、だれかが彼女のるすにホンの一ミリほど品物を動かしてもすぐに気づいてしまう。そのかわり、いつも手のつけようもないほどむちやくちやにものが突つ込んである所が家の中に一、二カ所は必ずある。
 妻のもののしまい方は普通の世間並とは大分違う。普通の人なら大概たんすにしまう品が食器棚にはいつていたり、流しの棚にあるはずのものが冷蔵庫にしまつてあつたりする。だから彼女の不在中にものを探しあてることはほとんど絶望である。探す以上は一応我々の常識と因襲を全部脱ぎ棄てて、白紙にかえ
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