具や調度を磨いたり眺めたりするのが唯一の道楽のようである。
今までに彼女をもつともひきつけたのは宮沢賢治で、今も宮沢賢治一点ばりである。別に芸術価値がどうというのではなく「こんな心の綺麗な人はいない」といつて崇拝しているのである。
その他で一番おもしろがつたのは『シートン動物記』で、これは六冊息もつがずに読んでしまつた。
映画。映画はあまり好きではない。たまに亭主の作品でも出ると見に行くこともあるが、行かないこともある。その他はほとんど見ないようだ。いつか原節子が見舞いに寄つたとき、玄関に出て「どなたですか」ときいたくらいだから、その映画遠いこと推して知るべしである。
行儀
行儀、ことにお作法はむちやである。ねている亭主のところに来て、立つたまま話をする。枕の覆いを洗濯するとき、黙つていきなり私の頭の下から枕を引き抜く。私の頭は不意に三寸ばかり落下する。朝掃除に部屋へはいつて来ると、まずそこらの畳の上にほうきをバタンと投げ出して、いきなりパタパタとはたきをかけ始める。これで娘時代相当にお茶をやつたというのだから、あきれる。そして、彼女の言葉はまたそのお作法に負けないくらいにものすごい。彼女の語彙の中には敬語というものがいたつて乏しい。しかし、来客に対しては何とかごまかして行くが、私と差し向かいになつたら全然もういけない。
私は何とかしてこれを直そうと思い、数年間執念に戦つてみたが、遂に何の効もなく、これも結局こちらが根負けしてしまつた。考えてみると、何とかして妻を自分の思うように変えてみたいという気持ちが私にある間、私の家ではあらそいの絶え間がなかつた。しかし、そのようなことは所詮人間の力でできることではないと悟つてからはむだな努力を抛棄したから、今ではほとんどけんかがなくなつてしまつた。
つまり、亭主というものは、妻をもらうことはできるが、妻を作ることはできないものらしい。
[#地から2字上げ](『りべらる』昭和二十一年四月号)
底本:「新装版 伊丹万作全集2」筑摩書房
1961(昭和36)年8月20日初版発行
1982(昭和57)年6月25日3版発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2007年7月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora
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