進歩して来たが、現実の問題としてそう正確には行っていない。
 横隊戦術の実際の指揮は恐らく中隊長に重点があったのであろう。横隊では大隊を大隊長の号令で一斉に進退せしむる事はほとんど不可能とも言うべきである。しかし当時の単位は依然として大隊であり、傭兵の性格上極力大隊長の号令下にある動作を要求したのである。
 散兵戦の射撃はなかなか喧噪なもので、その指揮すなわち前進や射撃の号令は中隊では先ず不可能と言って良い。特に散兵の間隔が増大し部隊の戦闘正面が拡大するにつれてその傾向はますます甚だしくなる。だから散兵戦術の指揮単位は小隊と云うのは正しい。しかしナポレオン時代は散兵よりも戦闘の決は縦隊突撃にあったのだから、実際には未だ指揮単位は大隊であった。横隊戦術よりも正確に大隊の指揮号令が可能である。散兵の価値進むに従い戦闘の重点が散兵に移り、密集部隊も戦闘に加入するものは大隊の密集でなく中隊位となった。モルトケの欄(一二一頁付表第二)に、散兵の下に「中隊縦隊」と記し、指揮単位を「中隊」としたのはこの辺の事情を現わしたのである。
 日露戦争当時は既に散兵戦術の最後的段階に入りつつあり、小隊を指揮の
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