始めておったのである。この事は人間社会の事象を考察するに非常な示唆を与えるものと信ずる。特に注意を要するは、作戦計画の当事者が最も早くこれを感知した事である。言論界、殊に軍事界に於て経済的動員準備の必要が唱道せらるるに至ったのは遅れて一九一二年頃からである。しかしそれも固より大勢を動かすに至らず、財政的準備以外は何ら見るべきものが無かった。
「一九一四年七月初旬、内務次官フォン・デルブリュックは当時ロッテルダムに多量の穀物が在ったため、急遽ドイツ帝国穀物貯蓄倉庫を創設せんとした。しかしながらこれには五百万マルクを必要とし、大蔵大臣はこれを支出する事を肯《がえ》んじなかった。大蔵大臣はデルブリュックに書簡をもってこの由を申し送った。曰《いわ》く『吾人は決して戦争に至らしめないであろう。若し余が貴下に五百万マルクの支出を承諾するならば、穀物を国庫の損失補償の下に売却すると同じである。これは既に困難なる一九一五年度の予算編成を更に一層困難ならしむるであろう』と。
結局資金は支出されず、予算編成は滞りなく済み、七十五万人のドイツ人は飢餓のため死亡した!」(アントン・チシュカ著『発明家は封鎖を
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