レオンが初めて黒星をとった。
 この大陸封鎖の関係から遂に一八一二年露国との戦争となり、モスコーの大失敗となった。
 一八一三年新兵を駆り集め、エルベ河畔での作戦はナポレオンの天才振りを発揮した面白いものであったが、遂にライプチヒの大敗に終り、一八一四年は寡兵をもってパリ東方地区に於て大軍に対する内線作戦となった。一七九六年の作戦に比べて面白い研究問題であり、彼の部将としての最高の能率を発揮したと見るべきである。しかも兵力の差が甚だしく、殊に普軍がナポレオンの新用兵術を体得していたので思うに任せず、連合軍に降伏の止むなきに至った(この作戦は伊奈中佐の『名将ナポレオンの戦略』によく記されている)。
 一八一五年のワーテルローは大体見込なき最後の努力であった。
 対墺、対普の個々の戦争は巧みに決戦戦争を行なったが、スペインに対して地形その他の関係で思うに任せず、対露侵入作戦は大失敗をした。しかも、全体から見てナポレオンはその全力を対英持久戦争に捧げたのである。海と英国国民性の強靭さは天才ナポレオンを遂に倒したのである。
 ヒットラーは今日ナポレオンの後継者として立っている。

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