ムに包囲降伏せしめた。ナポレオンはドノー川に沿うてウインに迫り、逃ぐる敵を追ってメーレンに侵入したが、攻勢の終末点に達ししかも普国の態度疑わしく、形勢楽観を許さぬ状況となったが、ナポレオンは巧みに墺、露の連合軍を誘致して十二月二日アウステルリッツの会戦となり戦争の目的を達成した。
 一八〇六年普国と戦端が開かれるとナポレオンは南ドイツにあったその軍隊を巧みに集結、十六万の大軍三縦隊となりてチュウリンゲンを通過して北進、敵をイエナ、アウエルステートに撃破し、逃ぐるを追って古今未曽有の大追撃を強行、プロイセンのほとんど全軍を潰滅した。しかもポーランドに進出すると冬が来る。物資が少ない。非常に苦しい立場に陥った一八〇七年六月二十五日|漸《ようや》く露国との平和となった。
 対英戦争の第三法である大陸封鎖強行のため一八○八年スペインに侵入したところ、作戦思うように行かず、ナポレオン失敗の第一歩をなした。英国の煽動により一八〇九年墺国が再び開戦し、ナポレオンの巧妙なる作戦は良くこれを撃破したが一方スペインを未解決のまま放任せざるを得ない事となり、またアスペルンの渡河攻撃に於ては遂に失敗、名将ナポ
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