退却していたが、これを追撃してモントヴィ附近の戦闘となり遂にコッリー軍を撃破した。
 サルジニアは震駭して屈伏し二十八日午前二時休戦条約が成立した。
 この二週間の間に墺軍に一打撃を与えサルジニア国を全く屈伏した作戦は今日の軍人の眼で見れば余りに当然であると考え、ナポレオンの偉大を発見するに苦しむであろうが、フリードリヒ大王以来の戦争に対比すれば始めてその大変化を発見し得るのである。このナポレオンの殲滅戦略を戦争目的達成に向って続行し得るところに即ち決戦戦争が行わるる事となるのである。サルジニアを屈したナポレオンは再び墺国に向い前進、ポー川左岸に退却せる敵に対しポー川南岸を東進して五月八日ピアツェンツァ附近に於てポー川を渡り、敵をしてロンバルデーを放棄の止むなきに至らしめ、敵を追撃して十日有名なるロジの敵前渡河を強行、十五日ミラノに入城した。
 五月末ミラノを発しガルダ湖畔に進出、ボーリューを遠くチロール山中に撃退した。
 当時の仏墺戦争は持久戦争でありイタリア作戦はその一支作戦に過ぎない。ナポレオンは新しき殲滅戦略により敵を圧倒したが結局ここに攻勢の終末点に達した。殊にマントア要塞は
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