と称しているが、戦争力の低下に従って止むなく逐次戦略を変換して来た。そして状況に応ずる如くその戦略を運用し、最悪の場合にも毅然として天才を発揮し、全欧州を敵として良く七年の持久戦争に堪えその戦争目的を達成した。それには大王の優れたる軍事的能力が最も大なる作用を為しているが、しかし良く戦争目的を確保し、有利の場合も悲境の場合も毫も動揺しなかった事が一大原因である事を忘れてはならぬ。持久戦争に於ては特に目前の戦況に眩惑し、縁日商人の如く戦争目的即ち講和条件を変更する事は厳に慎まねばならぬ。第一次欧州大戦ではドイツは遂に定まった戦争目的なく(決戦戦争より戦争に入ったため無理からぬ点が多い)、戦争後になって、戦争目的が論じられている有様であった。そしてこれが政戦略の常に不一致であった根本原因をなしている。

     第六節 ナポレオンの戦争
 フリードリヒ大王の時代よりナポレオンの時代へ
 1、持久戦争より決戦戦争へ
 十八世紀末軍事界の趨勢。
 七年戦争後のフリードリヒ大王の軍事思想はますます機動主義に傾いて来た。一般軍事界はもちろんである。
 一七七一年出版せられたフェッシュの『用兵術
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