月五日平和は成り、二万の援兵まで約束したのである。スウェーデンとの平和も次いで成立した。
 大王はこの有利なる形勢の急転後、熟慮を重ねてその作戦目標をシュレージエンおよびザクセンに限定した。しかも極力会戦を避け、必要以上にマリア女王の敵愾心の刺戟を避けその屈服を企図したのである。
 露援軍の来着を待って七月行動を起し、シュワイドニッツ南方にあった墺軍陣地に迫り、これを力攻する事なく、一部をもって敵の側背を攻撃せしめて山中に圧迫、更に十月九日シュワイドニッツを攻略、ザクセンに向い、ドレスデンは依然敵手にあったが他の全ザクセンを回復し、一部の兵を進めて南ドイツの諸小邦を屈服せしめた。
 英仏間には十一月三日仮平和条約なり、さすがのマリア・テレジヤも遂に屈服、一七六三年二月十五日フーベルスブルグの講和成立、大王は初めてシュレージエンの領有を確実にしたのである。
 クラウゼウィッツは大王の戦争を、
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一七五七年を会戦の戦役、
一七五八年を攻囲の戦役、
一七五九―六〇年を行軍および機動の戦役、
一七六一年を構築陣地の戦役、
一七六二年を威嚇の戦役、
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