を避け大王をして奔命に疲れしむるとともに墺軍主力はシュレージエンの占領を企図したので、大王も弱り抜いて十月下旬遂にシュレージエンに転進するに決した。その時西方の敵再び前進し来たるの報告に接しただちにこれに向い、十一月五日二万二千の兵力をもって六万の敵をロスバハに迎撃、これに甚大の損害を与えた。
 この一戦はほとんど絶望の涯てに在った普国を再生の思いあらしめた。しかしシュレージエン方面の状況が甚だ切迫して来たのでただちにこれに転進、途中ブレスラウの陥落を耳にしつつ前進、十二月五日有名なロイテンの会戦となった。
 この会戦は三万五千をもって墺軍の六万五千に徹底的打撃を与えた、大王の会戦中の最高作品であり、大王のほとんど全会戦を批難したナポレオンさえ百世の模範なりとして極力賞讃したのである。墺軍はシュレージエンに進入した九万中僅かにその四分の一を掌握し得、大王は約四万の捕虜を得てシュワイドニッツ要塞以外の全シュレージエンを回復、平和への希望を得て冬営についた。
 ハ、一七五八年
 マリア・テレジヤの戦意旺盛にして平和の望みは絶え、露軍は昨年東普に侵入退却したが、この年一月二十二日遂にケーニヒ
前へ 次へ
全319ページ中186ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング