、次いで来るべき殲滅戦争を迎うるを得べし。
[#ここで字下げ終わり]
 昭和四年頃はソ連は未だ混沌たる状態であり、日本の大陸経営を妨げるものは主として米国であった。昭和六年「満蒙問題解決のための戦争計画大綱」を起案している。固より簡単至極のものであるが当時、未だ「戦争計画」というような文字は使用されず、作戦計画以外の戦争に関する計画としては、いわゆる「総動員計画」なるものが企画せられつつあったが、内容は戦争計画の真の一部分に過ぎず、しかもその計画は第一次欧州大戦の経験による欧州諸国の方針の鵜呑みの傾向であったから、多少戦争の全体につき思索を続けていた私には記念すべき思い出の作品である。
 昭和十三年には東亜の形勢が全く変化し、ソ連は厖大なその東亜兵備を以て北満を圧しており、米国は未だその鋒鋩《ほうぼう》を充分に現わしてはいなかったが、満州事変以来努力しつつあったその軍備は、いつ態度を強化せしむるかも計り難い。即ち日本は十年前の如く露国の崩壊に乗じ、主として米国を相手とし、戦争を以て戦争を養うような戦争を予期できない状態になっていたのである。
 そこで持久戦争となるべきを予期して、米・ソ
前へ 次へ
全319ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング