と信ずる。我ら東洋人は科学文明に遅れ、西洋人に比し誠に生温い生活をして来た。しかし反面常に天意に恭順ならんとする生活を続けたのである。東洋人は太古の宗教的生活を捨て去っていない。西洋は力を尚ぶが、我らの守る処は道である。政治上に於て我らは徳治を理想とするに対し彼らは法治を重視する。道と力は人生に於ける二大要素であり、これを重んじないものはない。問題はその程位如何にある。何れが主で何れが従であるかに在る。この差は今日の日本人には大したものでないと思わるるかも知れない。しかしこれが大きな問題である。今日の日本人は西洋文明を学び、大体覇道主義となっている。あるいは西洋人以上の覇道主義者である。見給え、平気で「油が入用だから蘭印をとる」と高言しているではないか。西洋人でも今少しは歯に衣《きぬ》をかけた言い方をするであろう。日本人は一時心も形も全部西洋風となったのであった。近時所謂日本主義が横行して形は日本に還ったが、しかし彼らの大部の心は依然西洋覇道主義者である。八紘一宇と言いながら弱者から権利を強奪せんとし、自ら強権的に指導者と言い張る。この覇道主義が如何に東亜の安定を妨げているかを静かに観察せねばならない。
クリステイーの『奉天三十年』には日清戦争当時のことについて「若し総ての日本人が軍隊当局者のようであったなら、人々は彼らの去るのを惜しんだであろう。しかし他の部類のものもあった。軍隊の後から人夫、運搬夫等に、そして雑多なる最下級の群が来て、それらは支那人から恐怖の混じた軽蔑をもって見られた。……彼らは兵士の如く厳格なる規律の下に置かれなかった」と述べてある。軍隊は兵卒に至るまで道義的であったらしい。しかるに日露戦争については「この前の戦争の時に於ける日本軍の正義と仁慈が謳歌され、総ての放埒は忘れられていた。戦争者が満州の農民と永久的友誼を結ぶべき一大機会は今であった。度々戦乱に悩まされたこれらの農民達は日本人を兄弟並みに救い主として熱心に歓迎したのである。かくしてこの国土の永久的領有の道は拓けたであろう。而して多くの者がそれを望んだのであった。しかるに日本人の指導者と高官の目指した処は何であるにもせよ、普通の日本兵[#「日本兵」に白丸傍点]士並びに満州に来た一般人民はこの地位を認識する能力が無かった。……かくして一般の人心に、日本人に対する不幸なる嫌悪、彼らの動機に
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