号令をかける時刀を抜き、敬礼する時刀を前方に投出すのはこの時代の遺風と信ずる。精神上から言ってもまた実戦の必要から言っても、号令をかける場合刀を抜く事は速やかに廃止する事を切望する。猥《みだ》りに刀を抜き敵に狙撃せられた例が少なくない。そうすれば指揮刀なるものは自然必要なくなる。日本軍人が指揮刀を腰にするのはどうも私の気に入らない。今日刀を抜いて指揮するため危険予防上指揮刀を必要とするのである。
フランス革命により本式に採用せらるるに至った散兵戦術の指導精神は、フランス革命以来社会の指導原理となった「自由」である。横隊の窮屈なのに反し、散兵は自由に行動して各兵の最大能力を発揮する。各兵は大体自分に向った敵に対し自由に戦闘するのである。部隊の指揮単位に於てなるべく各隊長の自由を尊重するのである。大隊戦闘の本旨は「大隊の攻撃目標を示し、第一線中隊をして共同動作」せしむるに在った。そうして大隊長はなるべく干渉を避けるのである。
[#底本254頁右上に図あり]
戦闘群の戦術となると形勢は更に変化して来た。敵は散兵の如く大体我に向き合ったものが我に対抗するのではない。広く分散している敵は互に相側防し合うように巧みに火網を構成しているから、とんでもない方から射撃せられる。散兵戦術のように大体我に向い合った敵を自由に攻撃さしたなら大変な混乱に陥る恐れがある。
そこで否が応でも「統制」の必要が生じて来た。即ち指揮官ははっきり自分の意志を決定する。その目的に応じて、各隊に明確な任務を与え各隊間共同の基準をも明らかにする。しかも戦況の千変万化に応じ、適時適切にその意図を決定して明確な命令を下さねばならない。自由放任は断じてならぬ。昭和十五年改正前の我が歩兵操典に大隊の指揮に対し、大隊長の指揮につき「大隊戦闘の本旨は諸般の戦況に応じ大隊長の的確かつ軽快なる指揮と各隊の適切なる協同とに依り大隊の戦闘力を遺憾なく統合発揮するにあり」と述べ(第四百八十)更に「……戦況の推移を洞察して適時各隊に新なる任務を附与し……自己の意図の如く積極的に戦闘を指導す」(第五百四)と指示している。
この統制の戦術のためには次の事が必要である。
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1、指揮官の優秀、およびそれを補佐する指揮機関の整備。
2、命令、報告、通報を迅速的確にする通信連絡機関。
3、各部隊
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