恐れがある。それを排斥する自衛的手段として、将校団銓衡会議を採用したものと信ずる。日本では全く空文で唯形式的に行なわるるに過ぎない。
私は更に徹底して幹部を総て兵より採用する制度に至らしめたい。かくして現役、在郷を通じて一貫せる制度となるのである。
世の中が自由主義であった時代、幼年学校は陸軍として最も意味ある制度であったと言える。しかし今日以後全体主義の時代には、国民教育、青年教育総て陸軍の幼年学校教育と軌を同じゅうするに至るべきである。即ち陸軍が幼年学校の必要を感じない時代の一日も速やかに到来する事を祈らねばならぬ。それが国防国家完成の時とも言える。そこで軍人を志すものは総て兵役につく。能力により現役幹部志願者は先ず下士官に任命せられる。これがため必要な学校はもちろん排斥しない。下士官中、将校たるべき者を適時選抜、士官学校に入校せしめて将校を任命する。
今日「面」の戦闘に於ては指揮単位は分隊である。しかしてこの分隊の戦闘に於ては分隊が同時に単一な行動をなすのではない。ある組は射撃を主とし、ある組はむしろ白兵突撃まで無益の損害を避けるため地形を利用して潜入する等の動作を有利とする。操典は既に分隊を二分するを認めており、「組」が単位となる傾向にある。
この趨勢から見て次の「体」の戦法ではいよいよ個人となるものと想像せられる。
「体」の戦法とは戦闘法の大飛躍であり、戦闘の中心が地上特に歩兵の戦闘から空中戦への革命であろう。
空中戦としては作戦の目標は当然敵の首都、工業地帯等となる。そして爆撃機が戦闘力の中心となるものと判断せられ、飛行機は大きくなる一方であり、その編隊戦法の進歩と速度の増加により戦闘機の将来を疑問視する傾向が一時相当有力であったのである。しかるに支那事変以来の経験によって戦闘機の価値は依然大なる事が判明した。今日の飛行機は莫大の燃料を要し、その持つ量のため戦闘機の行動半径は大制限を受けるのだが、将来動力の大革命に依り、戦闘機の行動半径も大飛躍し、敵目標に潰滅的打撃を与うるものは爆撃機であるが、空中戦の優劣が戦争の運命を左右し、依然戦闘機が空中戦の花として最も重要な位置を占むるのではないだろうか。
第三節 戦闘指導精神
横隊戦術の指導精神は当時の社会統制の原理であった「専制」である。専制君主の傭兵が横隊戦術に停頓せしめたのである。
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