。また近時自由主義思想は高等教育を受けた人々に力強く作用して軍事を軽視する事甚だしかった。かくの如き状態に於て中学校以上を卒業したとて一般の兵は二年または三年在営するに対し、僅か一年の在営期間で指揮官たるべき力量を得ないのは当然である。
 本次事変初期に於ても一年志願兵出身の小隊長特に分隊長が指揮掌握に充分なる自信なく、兵の統率にやや欠くる場合ありしを耳にしたのである。これはその人の罪にあらずして制度の罪である。
 この経験とドイツ丸呑みよりの覚醒が自然今日の幹部候補生の制度となり、面目を一新したのは喜びに堪えない。
 しかし未だ真に徹底したとは称し難い。学校教練終了を幹部候補生資格の条件とするのは主義として賛同出来ぬ。「文事ある者は必ず武備がある」のは特に日本国民たるの義務である。親の脛をかじりつつ、同年輩の青年が既に職業戦線に活躍しある間、学問を為し得る青年は一旦緩急ある際一般青年に比し遥かに大なる奉公の実を挙ぐるため武道教練に精進すべきは当然であり、国防国家の今日、旧時代の残滓とも見るべきかくの如き特権は速やかに撤廃すべきである。中等学校以上に入らざる青年にも、青年学校の進歩等に依り優れたる指揮能力を有する者が尠《すくな》くない。また軍隊教育は平等教育を一抛し、各兵の天分を充分に発揮せしめ、特に優秀者の能力を最高度に発展せしむる事が必要であり、これによって多数の指揮官を養成せねばならぬ。在営期間も最も有利に活用すべく、幹部候補生の特別教育は極めて合理的であるが、猥《みだ》りに将校に任命するのは同意し難い。除隊当時の能力に応ずる階級を附与すべきである。
 序《ついで》に現役将校の養成制度について一言する。
 幼年学校生徒や士官候補生に特別の軍服を着せ、士官候補生を別室に収容して兵と離隔し身の廻りを当番兵に為さしむる等も貴族的教育の模倣の遺風である。速やかに一抛、兵と苦楽をともにせしめねばならぬ。率先垂範の美風は兵と全く同一生活の体験の中から生まれ出るべき筈である。
 将校を任命する時に将校団の銓衡会議と言うのがある。あれもドイツの制度の直訳である。ドイツでは昔その歴史に基づき将校団員は将校団で自ら補充したのである。その後時勢の進歩に従い士官候補生を募集試験により採用しなければならないようになったため、動《やや》もすれば将校団員の気に入らない身分の低い者が入隊する
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