る。資本主義諸列強の攻撃がレーニンを救ったとも見る事が出来るのではないか。資本主義国家の圧迫が、レーニンをしていわゆる「国防国家建設」への明確な目標を与え大衆を掌握せしめた。
もちろん「無産者独裁」が大衆を動かし得たる事は勿論であるが、大衆生活の改善は簡単にうまく行かず、大なる危機が幾度か襲来した事と思う。それを乗越え得たのは「祖国の急」に対する大衆の本能的衝動であった。マルクス主義の理論が自由主義の次に来たるべき全体主義の方向に合するものであり、殊に民度の低いロシヤ民族には相当適合している事がソ連革命の一因をなしている事を否定するのではないが、列強の圧迫とあらゆる困難矛盾に対し、臨機応変の処理を断行したレーニン、スターリンの政治的能力が今日のソ連を築き上げた現実の力である。第一線決戦主義で堂々開始せられた革命建設も結局第二線決戦的になったと見るべきである。
ナチス革命は明瞭な第二線決戦主義である。ヒットラーの見当は偉い。しかしヒットラーの直感は革命の根本方向を狙っただけで、詳細な計画があったのではない。大目標を睨みながら大建設を強行して行くところに古き矛盾は解消されつつ進展した。もちろん平時的な変革ではない。たしかにナチス革命であるが大した破壊、犠牲無くして大きな変革が行なわれた。大観すればナチス革命はソ連革命に比し遥かに能率的であったと言える。この点は日本国民は見究めねばならない。
第二次欧州大戦特に仏国の屈伏後はやや空気が変ったが、国民が第一線決戦主義に対する憧憬余りに強くソ連の革命的方式を正しいものと信じ、多くの革新論者はナチス革命は反動と称していたではないか。この気持が今日も依然清算し切れず新体制運動を動《やや》もすれば観念的論議に停頓せしめる原因となっている。日米関係の切迫がなくば新体制の進展は困難かも知れない。
蓋《けだ》し困難が国民を統一する最良の方法である。今日ルーズベルトが全体主義国の西大陸攻撃(とんでもない事だが)を餌として国民を動員せんとしつつあるもその一例。リンドバーグ大佐がドイツより本土攻撃せられる恐れなしと証言せるは余りに当然の事、これが特に重視せらるるは滑稽である。
第二節 指揮単位
「世界最終戦論」には方陣の指揮単位は大隊、横隊は中隊、散兵は小隊、戦闘群は分隊と記してある。理屈はこの通りであり大勢はその線に沿って
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