力の逐次使用となって各個撃破を受くる事となるから、自然に今日の面の戦法に進展したのである。欧州大戦に於ける詳しい戦術発展の研究をした事がないから断定をはばかるが、私の気持では真に正しく面の戦法を意識的に大成したのは大戦終了後のソ連邦ではないだろうか。
大正三年八月の偕行《かいこう》社記事の附録に「兵力節約案」というものが出ている。曽田中将の執筆でないか、と想像する。それは主として警戒等の目的である。一個小隊ないし一分隊の兵力を距離間隔六百メートルを間して鱗形に配置し、各独立閉鎖堡とする。火力の相互援助協力に依り防禦力を発揮せんとするもので、面の戦法の精神を遺憾なく発揮しているものであり、これが世界に於ける恐らく最初の意見ではないだろうか。果して然りとせば今日までほとんど独創的意見を見ない我が軍事界のため一つの誇りと言うべきである。
古代の密集集団は点と見る事が出来、横隊は実線と見、散兵は点線即ち両戦術は線の戦法であり、今日の戦闘群戦術は面の戦法である。而してこの戦法もまた近く体の戦法に進展するであろう。
[#底本245頁左に図あり]
否、今日既に体の戦法に移りつつある。第二次欧州大戦でも依然決戦は地上で行なわれ、空中戦はなお補助戦法の域を脱し得ないが、体の戦法への進展過程であることは疑いを容れない。線の戦法の時でも砲兵の採用は既に面の戦法への進展である。総ての革新変化は決して突如起るものではない。もちろんある時は大変化が起り「革命」と称せられるけれども、その時でさえよく観察すれば人の意識しない間に底流は常に大きな動きを為しているのである。
ソ連邦革命は人類歴史上未曽有の事が多い。特にマルクスの理論が百年近くも多数の学者によって研究発展し、その理論は階級闘争として無数の犠牲を払いながら実験せられ、革命の原理、方法間然するところ無きまでに細部の計画成立した後、第一次欧州大戦を利用してツアー帝国を崩壊せしめ、後に天才レーニンを指導者として実演したのである。第一線決戦主義の真に徹底せる模範と言わねばならぬ。
しかし人智は儚《はかない》いものである。あれだけの準備計画があっても、やって見ると容易に思うように行かない。詳しい事は研究した事もないから私には判らないが、列国が放任して置いたらあの革命も不成功に終ったのではなかろうか。少なくもその恐れはあったろうと想像せられ
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