に対し準備砲撃を加え、近衛の一部、騎兵第四軍団、第六軍団を以ってリーニーに向い中央突破を敢行せしめた。普軍は戦力全く消耗して対応の策なく遂に敗退しブリュッヘルは危うく捕虜とならんとして僅かに逃るる事が出来た。
本会戦はナポレオン得意の中央突破戦法であって第二線決戦の好範例である。
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   第四章 戦闘方法の進歩

     第一節 隊 形
 古代の戦闘隊形は衝力を利用する密集集団方式であった。中世騎士の時代となって各個戦闘となり、戦術は紊《みだ》れて軍事的にも暗黒時代となった。ルネッサンスは軍事的にも大革命を招来した。火薬の使用は武勇優れた武士も素町人の一撃に打負かさるる事となって歩兵の出現となり、再び戦術の進歩を見るに至ったのである。
 火薬の効力は自然に古《いにしえ》の集団を横広の隊形に変化せしめて横隊戦術の発達を見た。横隊戦術の不自然な停頓と、フランス革命による散兵戦術への革新については詳しく述べたから省略する。
 一概に散兵戦術と云うも最初は散兵はむしろ補助で縦隊の突撃力が重点であった。それが火薬の進歩とともに散兵に重点が移って行った。それでもなおモルトケ時代は散兵の火力と密集隊の突撃力との併用が大体戦術の方式であった。それが更に進んで「散兵をもって戦闘を開始し散兵をもって突撃する」時代にすすみ、散兵戦術の発展の最後的段階に達したのがシュリーフェン時代から欧州大戦までの歴史である。
 第一次欧州大戦で決戦戦争から持久戦争へ変転をしたのであるが、戦術もまた散兵から戦闘群に進歩した。フランス革命当時は、先ず戦術的に横隊戦術から散兵戦術に進歩し、戦争性質変化の動機ともなったのであるが、今度は先ず戦争の性質が変化し、戦術の進歩はむしろそれに遅れて行なわれた。
 最初戦線の正面は堅固で突破が出来ず、持久戦争への方向をとるに至ったのであるが、その後砲兵力の集中により案外容易に突破が可能となった。しかし戦前逐次間隔を大きくしていた散兵の間隔は損害を避けるため更に大きくなり、これは見方に依っては第一線を突破せらるる一理由ともなるが、その反面第一線兵力の節約となり、また全体としての国軍兵力の増加は、限定せられた正面に対し使用し得る兵力の増大となり、かくて兵力を数線に配置して敵の突破を防ぐ事となった。いわゆる数線陣地である。
 しかし数線陣地の考えは兵
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