私は大正八年以来、日蓮聖人の信者である。それは日蓮聖人の国体観が私を心から満足せしめた結果であるが、そのためには日蓮聖人が真に人類の思想信仰を統一すべき霊格者であることが絶対的に必要である。仏の予言の適中の妙不可思議が私の日蓮聖人信仰の根底である。難しい法門等は、とうてい私には分かりかねる。しかるに東洋史を読んで知り得たことは、日蓮聖人が末法の最初の五百年に生まれられたものとして信じられているのであるが、実は末法以前の像法に生まれられたことが今日の歴史ではどうも正確らしい。私はこれを知ったとき、真に生まれて余り経験のない大衝撃を受けた。この年代の疑問に対する他の日蓮聖人の信者の解釈を見ても、どうも腑に落ちない。そこで私は日蓮聖人を人格者・先哲として尊敬しても、霊格として信仰することは断然止むべきだと考えたのである。
 このことに悩んでいる間に私は、本化上行《ほんげじょうぎょう》が二度出現せらるべき中の僧としての出現が、教法上のことであり観念のことであり、賢王としての出現は現実の問題であり、仏は末法の五百年を神通力を以て二種に使い分けられたとの見解に到達した。日蓮教学の先輩の御意見はどうもこれを肯定しないらしいが、私の直感、私の信仰からは、これが仏の思召にかなっていると信ずるに至ったのである。そして同時に世界の統一は仏滅後二千五百年までに完成するものとの推論に達した。そうすると軍事上の判断と甚だ近い結論となるのである。
 昭和十四年三月十日、病気治療のため上京していた私は、協和会東京事務所で若干の人々の集まりの席上で戦争論をやり、右の見解からする最終戦争の年代につき私の見解を述べた。この講演の要領が人々によって印刷され、誰かが「世界戦争観」と命名している。
 昭和十五年五月二十九日の京都義方会に於ける講演筆記(第二次欧州大戦の急進展により同年八月印刷に付する際その部分を少し追補した)の出版されたのが、立命館版『世界最終戦論』である。要するにこれは私の三十年ばかりの軍人生活の中に考え続けて来たことの結論と言うべきである。空想は長かったが、前に述べた如く真に私が学問的に戦史を研究したのは、主としてフリードリヒ大王とナポレオンだけであり、しかもその期間も大正十五年夏から昭和三年二月までの約一年半に過ぎないのである。研究は大急ぎで素材を整理したくらいのところで、まだまだ消化し
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