たものではなく、殊に私の最も関心事であったナポレオンの対英戦争は、その最重要点の研究がまとまらずにいるのである。最終戦争論に論じてあるフリードリヒ大王以前のことは真に常識的なものに過ぎない。
 私は常に人様の前で「軍事学については、いささか自信がある」と広言しているが、このように真相を白状すれば誠に恥ずかしい次第である。日本に於ける軍事学の研究がドイツやソ連の軍事研究に比し甚だ振わないことは、遺憾ながら認めざるを得ない。私は、戦友諸君はもちろんのこと、政治・経済等に関心を有する一般の人士も、軍事につき研究されることを切望して止まないのである。
 満州問題で国際連盟の総会に出張したときに、ある日ジュネーブで伊藤述史公使が私に、「日本には日本独特の軍事学があるでしょうか」と質問されたが、私は「いや、伊藤さん、どうも遺憾ながら明治以後には、さようなものは未だできていない」と答えると伊藤氏は青くなって、「それは大変だ。一つ東京に帰ったらお互に軍事研究所を作ろうではないか」と提案された。なぜ、さようなことを伊藤氏が言ったかと聞いて見ると、伊藤氏がフランス大使館の書記生の時代に、田中義一大将がフランスに廻って来て盛んに外交官の無能を罵倒したらしい。それで伊藤氏は大いに憤慨したが、軍人はともかく政治・経済の若干を知っているのに、外交官は軍事学を知っていないことに気がつき、フランスの友人から軍事学の先生を探して貰った。それが当時陸軍大学の教官であったフォッシュ少佐で、同少佐から主としてナポレオン戦争の講義を聞いたのである。第一次欧州大戦後、フォッシュ元帥から「フランスを救ったものはフランス独特の軍事学であった。独特の軍事学なき国民は永遠の生命なし」との意見を聞き、伊藤公使の脳裡に深い印象を与えているらしい。フランスが第二次欧州大戦によってこんなふうに打ちのめされた今日、フォッシュ元帥のこの言葉は素人には恐らく大きな魅力を失ったであろうが、この中に含むある真理はわれらも充分に玩味すべきである。伊藤氏はそのときの講義録を私にくれるとてパリの御宅を再三探して下さったが遂に発見できなかった。私はあきらめかねてなおも若し見付かったらと御願いして置いたが、パリを引払われた後も何らの御通知がないから、遂に発見されなかったのであろう。
 世人は、軍が軍事上のことを秘密にするから軍事の研究ができない
前へ 次へ
全160ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング