やけた紅《あか》い顔なども見えた。汽車は次第に山の方へかかって行った。深い雑木林が、絶えず煽《あお》りを喰って、しなやかなその小枝を揺がし、竹藪《たけやぶ》からすいすいした若竹が、雨にぬれた枝を差し交していた。古い油絵に見るようにこんもりした杉のところどころに叢立《むらだ》っているのが、山の気の深さを感じしめた。
 鉄道が敷けてから、急に寂しくなって来たその町は、耳がしんとするほど静かであった。かなり大きな家のある広い通りにも、人の影が疎《まば》らであった。
 宿の広い土間から、裏二階の座敷へ案内された笹村は、落着きもなく手擦《てす》り際《ぎわ》へ出て庭を眺めたり、額や掛け物を見つめたりしていたが、階下《した》に飼ってある小禽《ことり》の幽《かす》かな啼き声が、侘《わび》しげに聞えて来た。
 日暮れになっても、雨はしとしとと降っていた。

     七十八

 容易に坐り癖のつかない、そこの広い部屋の寂しさに慣れるまでには、かなり間があった。
 笹村は朝九時ごろに起きると、大抵風呂の沸く午後の三、四時ごろまでは、じッと机の側に坐りきりであった。他の部屋とかけ離れたその座敷へは、何の音響も伝わっていなかった。時とすると広い寂れた通りで、子供を集めているよかよか飴《あめ》の太鼓の音が、沈澱したような四辺《あたり》の寂寞《せきばく》を掻き乱して行くほかは、例の小禽の囀《さえず》りが耳につくだけであった。すべての感覚を絶たれたような笹村の頭は、どうかすると真空のように白けきっていた。
 笹村は喫《ふか》しつづけの莨に舌がいらいらして来ると、ふと机に向き直って何か書こうとして紙を見つめることもあったが、頭はやッぱり疲れていた。
 空の晴れた日には、男体山《なんたいさん》などの姿が窓からはっきり眺められた。社の森、日光の町まで続いた杉並木なども、目前《めさき》に黝んで見えた。大谷川《だいやがわ》の河原も、後の高窓から見られたが、笹村はどこを見ても沈黙の壁に向っているようであった。
 家のことが、時々目前に浮んだ。向き合っている時には見られなかったお銀の心持や運命も、こうして遠く離れていると、はっきり解るように思えた。肉体とともに、若い心の摺《す》りへらされて行くお銀の胸には、まだ時々恋愛の夢が振り顧られた。充《み》たしがたい物質上の欲求も、絶えず心を動揺させていた。それを踏みつけようとしている良人の狂暴な手は、年々反抗しがたいものとなった。
「子供にもそう不自由をさせず、時々のものでも着て行ければ私は他に何にも望みはない。」
 お銀のそういう言葉には、色の剥《は》げて行く生活の寂しい影がさしていた。
 笹村は、ある日劇場の人込みのなかで、卒倒したお銀の哀れな姿を思い出さずにはいられなかった。夫婦はその日、新橋まで人を見送った。そして帰りに橋袂で、お銀の好きな天麩羅《てんぷら》を喰べた。
「ああおいしい。」
 お銀はそう言って、笹村の顔を見ながら我ながらおかしそうに笑った。
「よく喰うな。」笹村は苦笑していた。
 二人は腹ごなしに銀座通りを、ぶらぶら歩いた。
「私こんなところを歩くのは何年ぶりだか、築地にいたころは毎晩のように来たこともありますがね。」
 お銀はそう言いながら、珍らしそうにそこらを眺めていた。
「歌舞伎《かぶき》を一幕のぞいて見ようか。」笹村は尾張町《おわりちょう》の角まで来たとき、ふと言い出した。
 一幕見はかなり込み合っていた。薄暗い舞台の方を伸びあがって見ると、そこにはちょうど、地震加藤の幕が開いていた。お銀は人の肩越しに、足を爪立《つまだ》てて、花道から出て来る八百蔵《やおぞう》の加藤を、やっと頭の先だけ見ることができた。ぼっとしたような目には、桟敷《さじき》に並んでいる婦人たちの美しい姿がだんだん晴れやかに映っていた。お銀は十年ほど前に、叔父と一緒に一世一代だという団十郎の熊谷《くまがい》を見てから、ここへ入るようなこともなかった。
 やがて下りた浅黄色の幕が落ちて、宗十郎の小西がそこへ現われて来るころに、お銀は真蒼《まつさお》な顔をして後の方へ退《さが》って行った。そして頭を抑えながら、苦しそうに呼吸《いき》をはずましていた。
「目がぐらぐらして、わたし何だかそこらが真暗……。」
 笹村の手に縋《すが》って、廊下の方へ出たお銀は、「あなた私もう駄目よ。」と、泣き声を出してじきにそこへ倒れてしまった。
 しばらくお銀は運動場へ出て、風に吹かれていた。亜鉛《トタン》の板敷きに、べったり坐っているお銀は、少しずつ性がついて来た。笹村はじきに外へ連れ出した。
 お銀はコートについた埃も払わずに、蒼い顔をして、薬屋を捜した。目にも涙がにじんで、手足が冷えきっていた。
「どうしてこう弱くなったんでしょう。」
 呟きながら、川端を歩いているお銀の姿を、笹村は時々振り顧ってみた。

     七十九

「お湯にお入んなすって。」といって毎日毎日刻限になると、栗山から来ているという、行儀のよい小娘が、部屋の入口へ来てにっこりしながら声かけるころには、笹村の頭は何を考えるともなしに萎《な》え疲れていた。沈黙の苦痛に気が変になりそうなこともあったが、やはり部屋を動くのが厭であった。
 もう十日の余もいて、町の人の生活状態も解っていたし、宿の人たちのことも按摩《あんま》などの口から時々に聴き取って、ほぼ明らかになっていた。町の宿屋という宿屋は、日光山へ登る旅客がここを通らなくなってからは、大抵|達磨宿《だるまやど》のようなものになってしまった。町の裏に繁っていた森も年々に伐《か》り尽されて、痩せ土には米も熟《みの》らないのであった。唯一の得意先であった足尾の方へ荷物を運ぶ馬も今は何ほども立たなかった。そのなかでその宿だけは格を崩さずにいた。裏には顕官の来て泊る新築の一構えなどもあった。魚河岸《うおがし》から集金に来ている一人の親方は、そこの広間で毎日土地の芸妓《げいしゃ》や鼓笛《つづみふえ》の師匠などを集めて騒いでいた。
 湯殿の上り場には、掘りぬきの水が不断に流れていた。山から取って来てその水に浸《つ》けてある淡色《うすいろ》の夏雪草などを眺めながら、笹村は筋肉のふやけきったような体を湯に浸していた。湯気で曇った硝子窓には、庭の立ち木の影が淡碧《うすあお》く映っていた。
 日暮れ方になると、笹村は町へ出て見た。そこここの宿屋の薄暗い二階からは、方々から入り込んでいる繭買《まゆか》いの姿などが見られた。裏通りへ入ると、黄色い柿の花の散っている門構えの家などが見えたり、ごみごみした飲食店や、御神燈の出た芸者屋が立ち並んでいたりした。
 去年の秋の氾濫《はんらん》の迹《あと》の恐ろしい大谷川の縁へ笹村は時々出かけて行った。石のごろごろした白い河原の上流には、威嚇《いかく》するような荒い山の姿が、夕暮れの空に重なりあって見えた。凄《すさま》じい水勢に潰《くず》された迹の堤の縁《へり》には、後から後からと小屋を立てて住んでいる者もあった。笹村は石を伝って、広い河原をどこまでも溯《さかのぼ》って見たり、岩に腰かけて恐ろしい静寂の底に吸い込まれて行きそうな心臓の響きに、耳を澄ましたりした。
 やがて高い向う河岸の森蔭や、下流の砂洲に繁った松原のなかに、火影がちらちらしはじめた。電《いなずま》が時々白い水のうえを走った。笹村は長くそこに留まっていられなかった。
 町をまた一巡《ひとまわ》りして宿へ帰って来た笹村は、この十日ばかり何を見つめるともなしにそこに坐っていた自分の姿を、ふと目に浮べた。机の上には来た時のままの紙や本が散らばっていて、澱《おど》んだような電気の明りに、夏虫が羽音を立てていた。
 その晩笹村は下の炉傍《ろばた》へ来て、酒をつけてもらったりした。炉傍には、時々話し相手にする町の大きな精米場の持ち主も来て坐っていた。
 翌朝九時ごろに、階下《した》へ顔を洗いに行った時、笹村はふと料理場から顔を出す女の姿を見た。薄い鬢《びん》を引っ詰めたその顔は、昨夜《ゆうべ》見た時よりも荒れて蒼白かった。顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6、288−上−8]《こめかみ》のところに貼《は》った膏薬《こうやく》も気味が悪かった。
「旦那《だんな》、ほんとに日光へ連れて行って下さいね。」
 女の口には金歯が光った。声もしゃ[#「しゃ」に傍点]がれたようであった。女は昨夜の挨拶にそこへ来ているのであった。
 午後に笹村は、長く壁にかかっていた洋服を着込んで、ふいとステーションへ独りで出向いて行った。そしてちょうど西那須《にしなす》行きの汽車に間に合った。



底本:「日本の文学9 徳田秋声(一)」中央公論社
   1967(昭和42)年9月5日初版発行
   1971(昭和46)年3月30日第5刷
入力:田古嶋香利
校正:久保あきら
2002年1月30日公開
2003年9月21日修正
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