してしまうなんて言ってますよ。」
笹村はお銀からこんなことも一、二度聞いた。
「おい、お前は己を殺すとか言ってるそうだが……。」
笹村は日暮れ方に外から帰って来た甥の顔を見ると、いきなり詰《なじ》った。
酒気を帯びていた甥は坐りもしなかった。そして、「殺してやろう。」と嶮しい目をしながら、台所の方へ刃物を取りに行った。
「あなたあなたお逃げなさいよ。」
お銀がけたたましく叫ぶまもなく、出刃を持った甥が、後からお銀に支えられながら入って来た。
台所で水甕《みずがめ》のひっくらかえる音などを聞きつけて、隣に借家していた大学生が裏口へ飛び出して来てくれた。
外へ逃げ出した笹村が、家へ入って来たころには、甥の姿はもうそこには見えなかった。
「あんな優しい顔していて随分乱暴なことをするじゃありませんか」
お銀は一晩気味悪がっていたが、笹村もあまりいい気持がしていなかった。そして甥が行李の底に収《しま》っていた白鞘《しらさや》の短刀を捜したが、それは見つからなくて、代りに笹村が大切に保存していたある人の手蹟を留《とど》めた唐扇《とうせん》などが出て来た。
笹村の従弟《いとこ》にあたる甥の義兄が、賺《すか》して連れて行ってからも、笹村の頭には始終一種の痛みが残っていた。変人の笹村は、従弟などによく思われていなかった。
「あの方は、新ちゃんのことをそんなに悪くも思っていないですよ。」
お銀も二人を送り出してから、それを気にしていた。
友人がお銀のことについて、笹村の意嚮《いこう》を確かめに来たのは、そんな騒ぎがあってから間もなくであった。それまでに二人はたびたび顔を合わして、そのことを話し合っていた。笹村は相変らずM先生の仕事を急いでいたが、別れる別れぬの利害が、二人のあいだにしばらく評議された。
「僕の母なぞは別れるのは不賛成なんだが、とにかく子供のあまり大きくならんうちに片づけてしまいたまえ、手切れさえやればむろん承知するよ。それも君の言う半分で、大抵話がつこうと思う。」
世故《せこ》に長《た》けた友人は、そう言って下宿を出て行った。
「君のこともちっとは悪く言うかも知れんから、それは承知していてくれたまえ。」友人は出るとき笹村に念を押した。
友人が帰って来るまでには、大分手間が取れた。笹村は寝転んだり起きたりして、心に落着きがなかった。そしてそれがいず
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