んですね。」お銀は笹村の指先を揉《も》みながら、呟いた。
十五
朝寒《あさざむ》のころに、K―がよく糸織りの褞袍《どてら》などを着込んで、火鉢の傍へ来て飯を食っていると、お銀が台所の方で甲斐甲斐《かいがい》しく弁当を詰めている、それが、どうかして朝起きをすることのある笹村の目にも触れた。お銀の話に、商業学校へ通っていた磯谷に弁当を持って行ってやったり、雨が降ると傘を持って行って、よく学校の傍で出て来るのを待っていたという、その時の女の心持が二人の様子にも思い合わされた。笹村と通りへ買物などに出かけると、お銀は翌朝の弁当の菜を、通りがかりの煮物屋などで見繕《みつくろ》っていた。そのK―も貸家の差配を例の若い後家さんに託して、自分は谷中《やなか》のもといた下宿へ引き移って行ってからは、貸家にもいろいろの人が出入りしたが、明いている時の方が多かった。
甥は、その空家の一軒へ入り込んで寝起きをしていた。時には友達を大勢引っ張り込んで、叔父の方からいろいろの物を持ち運んで、飲食いをしていた。笹村が渡す月謝や本の代が、そのころ甥の捲《ま》き込まれていた不良少年の仲間の飲食いのために浪費されるらしい形迹《けいせき》が、少しずつ笹村に解って来た。
「新ちゃんは、いつのまにか私の莨入《たばこい》れを持って行《ある》いてますよ。」
お銀は、笑いながら笹村に言い告げた。月極めにしてある莨屋の内儀《かみ》さんが、甥の持って行く莨の多いのを不思議がって、注意してくれたことなどもあった。
机の抽斗《ひきだし》を開けてみると、学校のノートらしいものは一つもなかった。その代りに手帳に吉原の楼《うち》の名や娼妓《しょうぎ》の名が列記されてあった。妾《めかけ》――仲居――などと楽書きしてあるのは、この場合お銀のこととしか思えなかった。
「ああいう団体のなかに捲《ま》き込まれちゃ、それこそお終いだぞ。呼び出しをかけられても、今後決して外出しない方がいい。」
笹村は甥を呼びつけていいつけたが、甥は疳性《かんしょう》の目を伏せているばかりで、身にしみて聞いてもいなかった。そして表で口笛の呼出しがかかると、じきにずるりと脱《ぬ》けて行ってしまった。
「いつかの朝、顔を瘤《こぶ》だらけにして帰って来たでしょう、あの時吉原で、袋叩《ふくろだた》きに逢ったんですって……言ってくれるなと言った
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