でもそれを続けるわけに行かなかった。
「言いましたよ私……。」
 お銀はある時笑いながら笹村に話した。
「阿母さんの方でも大抵解ったんでしょう。」
 笹村も待ち設けたことのような気もしたが、やはり今それを言ってしまって欲しくないようにもあった。
 仕事の方は、忘れたようになっていた。笹村の頭は、甥が出直して来た時分、また蘇《よみがえ》ったようになって来た。甥はしばらくのまにめっきり大人びていた。肩揚げも卸《おろ》したり、背幅もついて来た。着いた日から、一緒に来た友達を二人も引っ張って来て、飯を食わしたり泊らせたりして田舎語《いなかことば》の高声でふざけあっていた。ちょいちょい外から訪ねて来る仲間も、その当分は多かった。
「何を言っているんだか、あの方たちの言うことはさっぱり解りませんよ。」と、お銀はその真似をして、転がって笑った。
「それにお米のまア入《い》ること。まるで御飯のない国から来た人のようなの。」
 甥が日ののきに裏の井戸端で、ある日運動シャツなどを洗濯していた。その時分には、連中も落着き場所を見つけて、それぞれ散らばっていた。お銀は手拭を姉さん冠りにして、しばらく不精していた台所の棚《たな》のなかなぞを雑巾《ぞうきん》がけしていた。
「洗濯ぐらいしてやったらどうだ。」仕事に疲れたような笹村は、裏へ出て見るとお銀を詰問するように言った。
「え、だからしてあげますからって、そう言ったんですけれど。」お銀はそんなことぐらいというような顔をして笹村を見あげた。
 食べ物などのことで、女のすることに表裏がありはしないかと、始終そんなことを気にしていた笹村は、その時もそれとなく厭味を言った。
「そうですかね。私そんなことはちッとも気がつきませんでした。」女は意外のように、そこへべッたり坐って額に手を当てて考え込んだ。
「そんなことをして、私何の得があるか考えてみて下さい。」お銀は息をはずませながら争った。母親もほどきものをしていた手を休めて、喙《くち》を容《い》れた。
 そこへ甥と前後して、出京していた家主のK―が裏から入って来た。K―は、ほかの三軒が容易に塞《ふさ》がらないので、帰省して出て来ると、自分で尽頭《はずれ》の一軒を占めることにした。その日もお銀に冬物を行李から出させて、日に干させなどしていた。そして母親が、その世話をすることになっていた。
 片耳遠いK
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