れてやればよかったんだ。」
「でもまアいいわ。いくら物がなくたって、他人の手に育つことを考えれば……。」
 お銀はせめて銘仙《めいせん》かメリンスぐらいで拵えてやりたかったが、それを待っていると拵える時が来そうにも思えなかった。
「それに、お宮詣りに行かないとしても、祝ってもらったところへだけは配り物をしなければなりませんからね。先の煙草屋などでは、毎日それを聞いてるんですよ。ここはお品のわるいところですけれど、そう貧乏人はいませんからね、出来ることなら氏神さまへ連れて行ってやりたいんですがね。」
 西日のさす台所で、丹念な母親は子供に行水をつかわせた。お銀も袂を捲《まく》りあげて、それを手伝った。やがてタオルで拭かれた子供の赭《あか》い体には、まだらに天花粉《てんかふん》がまぶされた。
「きれいな子ですよ。お腫物《でき》一つできない……。」と言って、お銀は餅々《もちもち》したその腿《もも》のあたりを撫でながら、ばさばさした襁褓《むつき》を配《あてが》ってやった。子供は吹き込む風に、心持よさそうに手足をばちゃばちゃさしていた。
 夕方飯がすんでから、笹村はM先生のもとを訪ねた。先生は涼しい階下《した》の離房《はなれ》の方へ床をのべて臥《ね》ていた。そのころ先生の腫物《しゅもつ》は大分痛みだしていた。面変《おもかわ》りしたような顔にも苦悶《くもん》の迹《あと》が見えて、話しているうちに、時々意識がぼんやりして来るようなことがあった。起き直るのも大儀そうであった。
 笹村は下宿の不自由で、仕事をするに都合の悪いこと、そこを引き払いたいということなどを話して、それとなく金を要求した。
「なにか用だったか。」
 先生はまるで見当違いの挨拶をした。口の利き方もいつものような明晰《めいせき》を欠いていた。病勢のおそろしく増進して来た先生の内部には、生きようとする苦しい努力、はかない悶《もだ》えがあった。日ごとに反抗の力の弱って行く先生は、笹村の苦しい事情に耳を傾けるどころではなかった。
「己もまだ先方から受け取らんのだから……。」と先生はしぶしぶ傍にあった鞄から、札を幾枚か取り出して笹村に渡した。そんな鞄を控えているということは、先生のこれまでには見られない図であった。
 笹村は疚《やま》しいような気がした。原稿の出来るのと、先生の死と――いずれが先になるか、それは笹村にも解っ
前へ 次へ
全124ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング