よ。それにどうしたって兄さんがお留守がちでしょう。」
「浮気しているのよきっと。鬼のいない間《ま》にと思って。」
お増は淋しく笑った。そして脱棄てや着替えを畳みつけて、奥へしまい込もうとするお今に、「それはそうやっておいて頂戴。一遍干すから。」と声かけた。
湯の熱の体にさめないようなお増は、茶漬で晩飯をすますと、まだ汽車に揺られているような体を、少し座蒲団のうえに横になって、そこにあった留守中の小使い帳や、書附けなどを眺めていた。
「誰も来なかったの。」
「ええどなたも。」とお今は箸を休めて、考えるような目色をして、「そうそう、根岸のあの神さんが二度ばかり来てよ。何だかあすこに事件が持ち上ったようなんですよ。」
「へえ、そう。」と、お増は顔をあげたが、お今は赤い顔をして、笑ってばかりいて、後を話さなかった。
「おかしな子だよ、お前さんは。」
お増はじれったそうに呟いた。
「姉さん、男って皆なそんなものでしょうか。」
お今は真面目な顔をこっちへ向けたが、じきに横を向いて噴笑《ふきだ》してしまった。
「何がさ。」
「だっておかしいんですもの。」お今は、また顔に袖を当てて笑いだした。
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