気に融《と》け込んで、子供の泣き声や鶏《とり》の声などがそこここに聞えた。春雨のような細い雨が、明るい軒端《のきば》に透しみられた。
垠《はずれ》の部屋へ来ている、気楽な田舎の隠居らしい夫婦ものの老人《としより》の部屋から碁石の音や、唐金《からかね》の火鉢の縁にあたる煙管の音が、しょっちゅう洩れて来たが、つい隣の隅の方の陰気くさい部屋にごろごろしている一人の青年の、力ない咳《せき》の声が、時々うっとりと東京のことなどを考えているお増の心を脅《おびや》かした。
「毎日雨降りでいけませんな。」
廊下へ出て、縁《へり》に蘇鉄《そてつ》や芭蕉《ばしょう》の植わった泉水の緋鯉《ひごい》などを眺めていると、褞袍姿《どてらすがた》のその男が、莨をふかしながら、側へ寄って来て話しかけた。男はまだ三十にもならぬらしく、色の小白い、人好きのよさそうな顔をしていた。時々高貴織りの羽織などを引っかけて川縁《かわべり》などを歩いているその姿を、お増は見かけていた。
「さようでございますね。」
お増は愛想らしく答えたが、よく男にでたらめな話の応答《うけこたえ》などの出来た以前の自分に比べると、こうした見知ら
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