》るような湯のなかに体を涵《ひた》して、見知らぬ温泉場《ゆば》にでも隠れているような安易さを感じながら、うっとりしていた。

     二十

 赤坂の方で新たに借りた二階建ての家へ、やっとお増の落ち着いたのは、その年もぐっと押し詰ってからであった。それまでにお増は幾度となく、下宿と先の家との間を往来《ゆきき》したが、通りがかりに見る暮れの気の忙《せわ》しい町のさまが、そうして宙に垂下《ぶらさが》っているような不安定な心持に、一層あわただしく映った。
「これじゃお正月が来たって、しようがありゃしない。まるで旅にいるようなものだわ。」
 お増はそう言いながら、いつ引き払って行くか知れない家の茶の間で、不自由な下宿では食べることの出来ない、自分の好きな煮物などで、お今と一緒に飯を食べながら言った。
 そこへ浅井も、一日会社や自分の用を達《た》しに歩いていたその足で、寄って来た。
「今日ちょッと家へ行って見たよ。」
 浅井は落着きのない目色をしながら、火鉢の側へ寄って来た。
「あの、奥様が旦那がお帰りになりましたらば、ちょいとでもいいから、おいで下さいましって。」
 そう言って昨日の朝、お柳
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