、それでも色の褪《あ》せた洋服を着ていたころと大した変化《かわり》は認められなかった。人柄な低い優しい話し声の調子や、けばけばしいことの嫌《きら》いなその身装《みなり》などが、長いあいだ女や遊び場所などで磨かれて来た彼の心持と相応したものであった。
 ここへ移ってからも、お増の目には、お千代婆さんの家で、穴のあくほど見つめておいた細君の顔や姿が、始終|絡《まつ》わりついていた。
「あなたのお神さんを、私つくづく見ましたよ。」
 お増はその当時よく浅井に話した。
「へえ。家内の方じゃ何とも言やしなかったよ。少しは変に思ったらしいがね。」
「そこが素人《しろうと》なんですよ。」
 お増は気の毒そうに言った。
「私あの人と二人のときのあなたの様子まで目につきますよ。」
 お増は興奮した目色をして、顎《おとがい》などのしっかりした、目元の優しい男の顔を見つめた。

     十四

 迷宮へでも入ったように、出口や入口の容易に見つからないその一区画は、通りの物音などもまるで聞えなかったので、宵になると窟《あな》にでもいるようにひっそりしていた。時々近所の門鈴《もんりん》の音が揺れたり、石炭殻の
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