爺さんの元気のいい話を聞いているお増の胸には、しおらしい寂しさが、次第に沁み拡がって来た。お芳を誘い出して、うんと買物をしようと目論《もくろ》んでいた自棄《やけ》な欲望が、いつか不断の素直らしい世帯気に裏切られていた。
 お増は、帰りに日比谷公園などを、ぶらぶら一周りして、お濠《ほり》の水に、日影の薄れかかる時分に、そこから電車に乗った。
「お帰りなさい。」
 昨夕《ゆうべ》浅井がおそく帰ったときも、出迎えたお増は、玄関に両手をついておとなしやかに挨拶をした。そして誰が着せたか知れないような着物をぬがして、褞袍《どてら》などを着せると、それは箪笥にしまい込んだ。お増は髪なども綺麗に結って、浅井のすきな半衿《はんえり》のかかった襦袢などを着込んでいた。
 遊びに倦《う》みつかれたような浅井には、幾夜ぶりかで寝る、広々した自分の寝室《ねま》の臥床《ねどこ》に手足を伸ばすのが心持よかった。
 お増は顔を洗って、髪に櫛《くし》を入れなどしてから、昨夜《ゆうべ》室の親元から、いろいろ浅井に頼んで来た手紙を見せたりなどして、いつものようにお今に、婚礼の話などをしかけた。

     五十九

 仮
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