を、お増は一昨日《おととい》の晩も、長いあいだ往来《ゆきき》していた。その情婦《おんな》のところへ、浅井はお柳のいたころの自分にしたように、株券や貴重な書類の入った手提げ金庫などを運んでいることが知れてから、二人の情交《なか》のだんだん深みへ入っていることが、お増に解って来た。情婦《おんな》の母親が、菓子折や子供への翫具《おもちゃ》などをもって、ある日浅井の留守に、奥さんにお昵近《ちかづき》になりたいといって、挨拶に来たことが、一層お増の心を、深い疑惑の淵《ふち》に沈めた。
「今度こそ真《ほん》ものだ。」
 お増は小林などの讖言《しんげん》が、とうとう自分の身のうえに当って来たように信ぜられてならなかった。
 お今の縁談が決まってから、浅井の心は一層|情婦《おんな》の方へ惹かれて行った。
「ほんとに憎らしい婆さんだよ。ああやって機嫌を取って、私を掌中《てのうち》に丸めこもうとするんだよ。」
 お増は普通の女のように、野暮な仕向けもしたくなかった。そして当らず触らずに、その場は愛想よく遇《あしら》って還したのであったが、肉づきなどのぼちゃぼちゃした、腰の低いその婆さんの、にこにこした狡《ずる》そうな顔が、頭脳《あたま》に喰い込んでいて取れなかった。
「旦那にはいろいろとお世話さまになっておりますので、一度御挨拶に出なくちゃならないと始終そう申していたんでございますがね、何分店があるものですから……。」
 婆さんは茶の間へ上り込んで、お増や子供に、親しい言《ことば》をかけたのであった。
 浅井が留守になると、お増はその婆さん母子《おやこ》にちやほやされている状《さま》が、すぐに目に浮んで来た。まだ逢ったことのない女の顔なども、想像できるようであった。
「これを御縁に、手前どもへもどうぞ是非お遊びにいらして下さいましよ。そして仲よく致しましょうよ。」
 婆さんのそういって帰って行った語《ことば》にお増ははげしい侮辱を感じた。
「どうして、喰えない婆さんですよ。母子《おやこ》してお鳥目取《あしと》りにかかっているんでさ。」
 お増はくやしそうに後で浅井に突っかかったが、浅井は、にやにや笑っていた。
 帰りのおそい浅井を待っているお増の耳に、美しい情婦《おんな》の笑い声が聞えたり、猥《みだ》らな目つきをした、白い顔が浮んだりした。
 お増は寒い風にふかれながら、婆さんに教えられた、その店の居周《いまわ》りを、いつまでもうろうろとしていた。そして時々向う側にまわって、遠くからその方を透《すか》して見たが、硝子障子をはめた店のなかは、はっきり見えなかった。
 やがてそこらの店がしまって、ひっそりした暗い町の夜が、痛ましいほど更けて来た。お増はやっぱりそこを離れることができなかった。

     五十八

 その翌日、お増は半日外で遊び暮すつもりで、静子をつれて、お芳の店などを訪ねて見たが、いろいろ引っかかりのある気が滅入《めい》って、話がいつものようにはずまなかった。
「今度という今度は、どんなことしたって駄目なの。」
 お増はいつもの茶の間で、お芳夫婦に話した。
「私が理窟を言えば、お前に理窟を言われるような、だらしのないことはしておかないって言うし、それじゃ田舎へ帰りますとそういえば、お前の方で勝手に出て行くんだから、お金なんざ一文もやらないって言うし、それは私もいろいろやって見ましたの。だけど、ああなっちゃとても駄目なの。」
 諍《あらそ》えば諍うほど、お増は自分を離れて行く男の心の冷たい脈摶《みゃくはく》に触れるのが腹立たしかった。ある晩などは、お増はくやしまぎれに、鏡台から剃刀《かみそり》を取り出して、咽喉《のど》に突き立てようとしたほど、絶望的な感情が激昂《げっこう》していたが、後で入り込んで来る情婦《おんな》のことが、頭脳《あたま》に閃《ひらめ》いて、後へ気が惹かされた。
「私はどうしたって、お柳さんのようにはならない。」
 お増は、じきに自分と自分の心を引き締めることが出来た。
「浅井さんを、旧《もと》の人間にしようっていうにゃ、どうしたってあなたの体から手を入れてかからなけあ、駄目だと私は思うがね。」
 隠居は笑いながら言った。
「家のお芳をごらんなさい、体がぽちゃぽちゃしていますから、私のような老人《としより》じゃ喰い足りねえとみえて、店の若いものに、色目をつかやがってしようがありませんよ。」
 隠居はふらふらした首つきをして、顔を顰《しか》めた。
 お芳はみずみずした碧味《あおみ》がかった目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、紅い顔をしていた。
「それでまた不思議なもんでして、こいつを店へ出しておくと、おかねえとでは、売り高の点で大変な差がありますよ。」
 調子づいて自分のことばかり言い立てる、お
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