》は麗《うらら》かな、いい天気であった。空には紙鳶《たこ》のうなりなどが聞かれた。昨夜《ゆうべ》のままに散らかった座敷のなかに、ふかふかした蒲団を被《かず》いて寝ている二人の姿が、懈《だる》いお増の目に、新しく婚礼した夫婦か何ぞのように、物珍しく映った。部屋には薄赤い電気の灯影が、夢のように漂っていた。
「何だかあなたと私と、御婚礼しているようね。」
着替えをしたお増は屠蘇《とそ》の銚子《ちょうし》などの飾られた下の座敷で、浅井と差し向いでいるとき、独りでそう思った。そこへお今も、はればれした笑顔で出て来て、「おめでとう。」とはずかしそうにお辞儀をした。健かな血が、化粧した肌理《きめ》のいい頬に、美しく上っていた。
綱引きの腕車《くるま》で出て行く、フロック姿の浅井を、玄関に送り出したお増は、屠蘇の酔いにほんのり顔をあからめて、恭《うやうや》しくそこに坐っていた。
家のなかが、急にひっそりして来た。羽子の音などが、もうそこにもここにも聞えた。自分は自分だけで年始に行くときの晴れ着の襦袢の襟などをつけているうちに、もう昼になって、元日の気分がどことなくだらけて来た。
二十二
長火鉢の側の柱にかかった日暦《ひごよみ》の頁に遊びごとや来客などの多い正月一ト月が、幻のように剥《は》がれて行った。
お増は春になってから一度、二人打ち揃うて訪ねてくれた根岸の隠居の家へ浅井と一緒に出かけて行ったり、その連中と芝居を見に行ったりした。いつか浅井の骨折りで、それを抵当に一万円ばかりの金を借りたりなどした別荘に、隠居はお芳という妾と一緒に住んでいた。そして方々に散らかっている問屋時代の貸しなどを取り立てて月々の暮しを立てていたが、贅沢《ぜいたく》をし慣れて来た老人は、やはりそれだけでは足りなかった。時々古い軸が持ち出されたり、骨董品《こっとうひん》が売り払われたりした。色白の肉づきのぼちゃぼちゃした、目元などに愛嬌のあるお芳は、上がもう中学へ通っているこの子供たちと一緒に、劇《はげ》しいヒステレーで気が変になって東京在の田舎の実家《さと》へ引っ込んでいる隠居の添合《つれあ》いが、家政《うち》を切り廻している時分には、まだ相模《さがみ》の南の方から来て間もないほどの召使いであった。
五十三、四になった胃病持ちの隠居は、お増の訪ねて行ったときも、いつものとおり、朝
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