ものなどに出歩いている浅井の細君の姿を、よそながら見ることがあった。
 そのころには、一夏過したお増の様子がめっきり変っていた。世のなかへ出た当時の、粗野《ぞんざい》な口の利《き》き方や、調子はずれの挙動が、大分|除《と》れて来た。櫛《くし》だの半襟《はんえり》だの下駄などの好みにも、下町の堅気の家の神さんに見るような渋みが加わって来た。どこか稜《かど》ばったところのあった顔の輪郭すら、見違えるほど和らげられて来た。
「ほんとにお前さんは、憎いような身装《なり》をするよ。」
 新調の着物などを着て訪ねて行くお増の帯や、襦袢の袖を引っ張って見ながら、お雪がうらやましそうに言った。
「今のうち、もっと派手なものを着た方がいいじゃないの。」
「ううん、派手なものは私に似合《にあ》やしないの。それにそんなものは先へ寄って困るもの。」
 浅井はそのころ、根岸の方の別邸へ引っ込んでいる元日本橋のかなり大きな羅紗《ラシャ》問屋の家などへ出入りしていた。店を潰《つぶ》してしまったその商人は、才の利く浅井に財政の整理を委《まか》すことにしていた。浅井はほかにも、いろいろの仕事に手を染めはじめていた。会社の下拵《したごしら》えなどをして、資本家に権利を譲り渡すことなどに、優《すぐ》れた手際を見せていた。
 お増を移らせる家を、浅井は往復の便を計って、すぐ自分の家の四、五丁先に見つけた。そこへ新しい箪笥《たんす》が持ち込まれたり、洒落《しゃれ》れた茶箪笥が据えられたりした。
「燈台下暗しというから、この方がかえっていいかも知れんよ。」
 浅井は初めてそこへ落ち着いたお増に、酒の酌《しゃく》をさせながら笑った。もうセルの上に袷羽織でも引っ被《か》けようという時節であった。新しい門の柱には、お増の苗字《みょうじ》などが記されて、広小路にいた時分、よそから貰った犬が一匹飼われてあった。ふかふかした絹布の座蒲団《ざぶとん》が、入れ替えたばかりの藺《い》の匂いのする青畳に敷かれてあった。浅井の金廻りのいいことが、ちょっとした手廻りの新しい道具のうえにも、気持よく現われていた。
 ワイシャツ一つになって、金縁眼鏡をかけて、向う前に坐っている浅井の生き生きした顔には、活動の勇気が、溢《あふ》れているように見えた。お増の目には、その時ほど、頼もしい男の力づよく映ったことはかつてなかった。
 浅井の調子は
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