てもあまり口数をきかぬお今の様子が、室の心を一層いらいらさせた。別居さしてある理由などに、疑いを抱いているらしい懊悩《もどか》しさが、黙っている室の目に現われていた。宿を出た三人は、途中その問題に触れることなしに、別れたのであった。
「お今も可哀そうですよ。」
お今が歩き遅れているときに、お増は謎でもかけるように呟いたが、室はそれを問い返そうともしないのであった。
座敷では、いろいろの譜が差し替えられた。
お増の顔色を見て、浅井の側を離れて行ったお今は、衆《みんな》と一緒にそれに聴き入っていたが、甲高《かんだか》な謳《うた》の声や三味線の音に、寂しい心が一層掻き乱されるだけであった。
「運動がてらみんなでそこまで送ろう。」
帰りかけようとするお今に、浅井は言いかけた。浴衣《ゆかた》のうえに、羽織を引っかけて、パナマを冠った浅井に続いて、お増も素足に草履《ぞうり》をつっかけて外へ出た。
暗い町続きを三人はぶらぶらと歩いていた。空には天の川が低く流れて、夜がしっとりと更けていた。
「一人帰すのは可哀そうだ、別荘まで送ろう。」
浅井は笑いながら、どこまでもとついて来た。三人はお今の宿のすぐ二、三町手前まで来ていた。
「いけませんよ。入浸《いりびた》りになっちゃ困りますよ。」
お増は笑いながら、とある四ツ辻《つじ》の角に立ち停った。水のような風が、三人の袂や裾を吹いていた。
五十四
室がちょいちょい訪ねて行くお今の二階へ、浅井もお増と一緒に行ったり、静子を連れたりして、たまには顔を出した。
室の身内にあたるという出張店をあずかっている若い男が、お今のことでちょいちょい浅井を訪ねて来てから、浅井もおのずからその話に肩を入れないわけに行かなかった。
「老主人の方だって、何もこちらの縁談が絶対にいけないと言うんじゃないんでござんすからな。」
前垂などをかけて、堅気の商人らしい風をしたその男は、そう言って話を進めた。
「もう一つほかの縁談を纏めてくれた方に対して、今さら義理が悪いというだけのことなのです。」
そんな話を一々素直に受け入れた浅井は自分からお今にも説き勧めた。そういう時の浅井の頭には、何らの矛盾もないらしく見えた。時がたちさえすれば、罅《ひび》の入ったお今の心が、それなりに綺麗に縫《と》じ合わされたり熨《の》されたりして行くとしか思え
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