るつもりでいるんでしょうよ。」
お増は、ふと東京で懇意になった遠縁続きの男に、自分の身のうえや、生計向《くらしむ》きのことまで打ち明けるほど、なつかしみを覚えて来た。
家出した兄を気遣っている妹から来た手紙などを、お増は室から見せられた。その文句は、いきなりに育って来たお増などには、傷々《いたいた》しく思われるくらい、幼々《ういうい》しさと優しさとをもっていた。
自分がまだ商売をしている時分に、脚気《かっけ》衝心で死んだ兄のことなどが思い出された。幼い時分に別れたその兄は、長いあいだ神戸の商館に身を投じていた。田舎にいる母親の時々の消息を通して、やっと生死がわかるくらい、二人のなかは疎々《うとうと》しかった。
「無駄なお鳥目《あし》なぞつかって、皆さんに心配かけちゃいけませんよ。」
お増は帰って行く室を、病室の戸口に送りながら、そう言って別れた。しんみりしたような話が、しばらく続いていたのであった。
退院させた静子が、階下《した》の座敷に延べられた蒲団のうえに、まだ全く肥立って来ない蒼い顔をして、坐らせられていた。バスケットで運んで来た人形や世帯道具、絵本などの翫具《おもちゃ》が、一杯そこに拡げられてあった。
外には春風が白い埃をあげて、土の乾いた庭の手洗い鉢の側に、斑入《ふい》りの椿《つばき》の花が咲いていた。
「いや御苦労御苦労。」
浅井はろくろく髪なども結う隙《ひま》のないほど、体の忙しかった女たちに声かけながら、やっと自分のものにした病人を眺めていた。子供は碧《あお》みのある、うっとりした目を大きく※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、物珍しくそこらを眺めていた。
「今ちゃんにお礼として、何かやらなけれあならんね。」
浅井は言いかけた。
「指環をほしがっているから、指環を買ってやろうか。」
お今は日に干すために、薬の香の沁み込んだ毛布やメリンスの蒲団を二階へ運んでいた。
四十六
床揚げの配りものなどが済んでから、浅井がふと通りがかりに、銀座の方から買って来たという真珠入りの指環が、ある晩お増の前で、折り鞄のなかから出された。
「へえ、ちょっと拝見。」などと、お増はサックのまま手に取り上げて眺めた。
「洒落《しゃれ》てますわね、十八金かしら。」
お増は自分の細い指に嵌《は》めて、明りに透《すか》しなどして見
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