しかし反目の理由は、既に私の気持で取除かれてゐたので、寧ろ前よりも和やかな友誼が還つて来たのであつた。何等抵触する筈のない、異なつた二つの存在であつた。
三日前、火葬場へ行つたときも、二十幾年も前に、嘗て私がK―の祖母を送つたときと同じ光景であつた。
焼けるのを待つあひだ、私たちは傍らの喫茶店へ入つて、紅茶を呑んだ。K―はお茶のかはりに、酒を呑んだ。
火葬場の帰りに、私は幾年ぶりかで、その近くに住んでゐる画伯と一緒に、K―の家へ寄つてみた。K―は生涯の主要な部分を、殆んど全くこの借家に過したといつてよかつた。硝子ごしに、往来のみえる茶の間で、私は小卓を囲んで、私の好きな菓子を食べ、お茶を呑みながら、話をした。地震のときのこと、環境の移りかはり、この家のひどく暑いことなど。
「夏は山がいいぢやないか。」
「ところが其奴がいけないんだ。例のごろごろさまがね。」
「家を建てた方がいいね。」
「それも何うもね。」
さうやつて、長火鉢を間に向き合つてゐるK―夫婦は、神楽坂の新婚時代と少しも変らなかつた。ただ、それはそれなりに、面差しに年代の影が差してゐるだけだつた。
K―の流儀で、通知を極度に制限したので、告別式は寂しかつたけれど、惨めではなかつた。順々に引揚げて行く参列者を送り出してから、私達は寺を出た。
「ちよつと行つてみよう。」K―が言ひ出した。
それは勿論O―先生の旧居のことであつた。その家は寺から二町ばかり行つたところの、路次の奥にあつた。周囲は三十年の昔し其儘であつた。井戸の傍らにある馴染の門の柳も芽をふいてゐた。門が締まつて、ちやうど空き家になつてゐた。
「この水が実にひどい悪水でね。」
K―はその井戸に、宿怨でもありさうに言つた。K―はここの玄関に来て間もなく、ひどい脚気に取りつかれて、北国の郷里へ帰つて行つた。O―先生はあんなに若くて胃癌で斃れてしまつた。
「これは牛込の名物として、保存すると可かつた。」
「その当時、その話もあつたんだが、維持が困難だらうといふんで、僕に入れといふんだけれど、何うして先生の書斎なんかにゐられるもんですか恐《おつ》かなくて……。」
私達は笑ひながら、路次を出た。そして角の墓地をめぐつて、ちやうど先生の庭からおりて行けるやうになつてゐる、裏通りの私達の昔しの塾の迹を尋ねてみた。その頃の悒鬱《むさくる》しい家や庭が
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