が、予想より超過したとかで、私はそれを用立てて一安心してゐるところであつた。T―はそんな仕事の好い材料をもつてゐたけれど、少しばかり金を注ぎこんだところで、物になるか何うかは疑問であつた。彼は又私のヒントで、俳文学の雑誌を発刊する計画も立ててゐた。まあ、何か彼か取りついて行けさうに思へた。私自身最近荒れ放題に荒れてゐた少し許りの裏の空地に、百方工面して貧弱なアパアトを造つたくらゐであつた。世間からおいてきぼりを喰つた、芸術家の晩年の寂しい姿を、自身にまざまざ見せつけられてゐた。この四五年事物が少しはつきり見えるやうな気がした。隠遁や死も悪くはなかつたが、ねばるのも亦よかつた。T―ももう相当の年輩であつたが、今まで余り好い事はなかつた。同じ芸術壇で、私の友人である兄は特異な地位を占めてゐたけれど、T―はその足もとへも寄りつけなかつた。結核で八年間も苦しみ通した最初の細君のことを、私は余り知らなかつたけれど、この前の細君は、三年程前、彼に新しい女が出来かかつた頃、子供の問題などで、よく私のところへ遣つて来たものだが、立派な性格破産者であつたから、T―の結婚生活が幸福である筈もなかつた。五年以来彼は今二十五になる恋人と幸福な同棲生活を続けて来た。遣りかけた仕事が若し巧く行けば、彼はその晩年において、生涯の償ひが取れないとも限らなかつた。それは全く望みのない事でもなかつた。誰もが人の才能や運命に見切りをつけてはならなかつた。
私はT―の金をM―子に預けた。そしてT―が帰つてから、背広に着かへてM―子と長男の芳夫をつれて外へ出た。
三人で通りの人通を歩いてゐる、或る銀行の前の、老い朽ちた椎の木蔭の鉄柵のところで、赤靴を磨かせてゐるT―を見た。T―は私達の顔を見て近眼鏡の下で微笑みかけた。
「お出かけ?」
「いや、ちよつと。」
その儘私たちは通りすぎた。そして三丁目の十字路を突切つて、とある楽器店の前まで来た。東京社交舞踏教習所と書きつけた電燈が、その横の路次にある其のビルデイングの入口に出てゐた。M―子が自身私のパアトナアになるつもりで、最近そこで四五日ダンスを教はつたのが因縁で、私も時々そこへ顔を出して、ステツプの研究をやつたりした。教養のある其処の若いマダムは、体の軽い私を、よく腋の下から持ちあげるやうにして、気さくにステツプを教へてくれた。いつか其のお父さんとも私
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