可笑しいやうでもあつたが、自分の姿が寂しいやうな感じでもあつた。渋谷氏は二度も私を迎ひに来たが、或る日其の頃政友会の幹部であつた尾崎行雄氏が醍醐寺を訪問するといふので、案内役の渋谷氏が私をも誘つたので其の一行に加はり、所謂醍醐の花見で有名な其の寺を訪れ、宝物を見せてもらつたが、本当の案内役は島文博士であつた。花見の折の諸大名の短冊の綴込みを見たことだけは、今でも覚えてゐるが古画のうちには国宝もあつたやうである。私はそこで精進料理を御馳走になつたが、美術など鑑賞してゐる余裕は、勿論私にはなかつた。母堂や白峰氏の案内で、四条や三条、御所や嵐山、清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見たが、京都で遊ぶには私の気分はすこしあわただし過ぎたし、懐中も寂しすぎたのである。私が先生へのお土産に鯉の丸揚げ(つまり支那料理の紅焼鯉に似たもの)をもつて東京へついたのは、下宿の窓は若楓の葉がそよいでゐる晩春のことであつたが、京都を立つとき、駅で其のたれ[#「たれ」に傍点]の入つた壜を落して壊してしまつたので、遺憾ながら鯉だけ届けたのも滑稽であつた。
下宿のお神が、別府の或る旅館の娘であることも、この旅行から帰つ
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