、消息もたえてしまつた私のことを、先生が怒つてゐるらしかつた。私は咽喉が少し快くなりかかつて来たところで、或る日遽かに人々に別を告げて、船に乗つた。そして乗つた瞬間から、私の熱病はけろりと癒つてしまつた。船の酔ひが一歩上陸した瞬間に癒ると同じなのである。
その後私は時々別府を思ひ出すのだが、別府へ行けば福岡や博多、長崎などへも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や京都へ行くことがあつても、何時も別府まで延さうといふ機会もなくて過ぎてしまつたのである。私は帰りにちよつと京都を瞥見した。京都には自由党の支部に長岡以来の渋谷黙庵氏がゐたが、帰りに立寄るやうに言つてよこしたので、白峰氏の家に一両日足を止めることにした。それが何の辺であつたのか、頓と見当もつきかねるが、塾にゐる時分、僅か四銭か三銭五厘かのパイレイト一つ買ふのに三四人で出しつこをして、時によると一本の紙巻を半分に切つて、分配したほどの貧乏であつたのに、京都における彼は相当広い部屋が三つもある二階の書斎に頑張つて、母堂と夫人と三人家族に落着いてゐたのである。佗しい放浪の旅をつづけてゐる私には、白峰氏の気取つた家庭振が、何か
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