淡紅くなつてゐて、間もなく町ではネルを著てあるく人も見えた。お絹さんは何もすることがなく、婆やを一人つかつて、頭髪などいつも綺麗に取りあげ、渋いお召などを引張つてゐたものだが、小説が好きで、大和風爐――詰り長火鉢の傍でいつも弦斎ものを読んでゐた。それで、あんたも何か書くさうだから、読むのも巧いだらうといふので、私に読んでくれといふので、何うせ退屈なので、読んで聞かせると、読み方が実に巧いといふので、夫から夫からと聴き飽きない。多分「小猫」だつたかとおもふ。するうち或る日古い文芸倶楽部か新小説かのなかに、ふと私の名が発見されてから、二人で大笑ひしたものだつたが、このお絹さんの処へ遊びに来るお婆さんに、昔は、京の芸妓であつた女の成の果が一人あつて、維新時代の京の騒動を体験してゐたので、よく其の話をして聴かした。私は格別そんな事に興味をもたなかつたが、そのお婆さんの身のうへには興味があつたので、よく聴かうと思ひながら聴きもしなかつた。そんなやうな事は、その後も屡々あつたが、さて自分の環境以外のことは、少しくらゐ話の筋を掴んだところで、容易に書けるものではないのである。ただいろんなことを記憶し
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