が、何ういふ訳か土地の大親分の後妻となり、私の知つた時代は後家さんで、劇場を経営してをり、前妻の娘が三人あつて、夫々裕福に暮してゐた。劇場の脇にある住居の方には、鶴などが飼つてあつて、私は当がはれた日当のいい二階にゐて、肉胞《にきび》などを取つてゐると、つい近くに見える山の裾に、既に梅が咲いてゐて、鶯が啼いていたが、そこからの夏蜜柑の枝には、黄金色の大きい蜜柑が成つてゐた。多分二月の上旬だつたらうと思ふ。其の時分は浴客といつても、大分とか熊本とか山口とか近県の人達ばかりで、大阪は勿論、東京人などは一人もなかつたやうに思ふ。私は東京にも遊学したことのある同じ年頃の青年のゐる、丸嘉といふ土地で一番大きいお茶屋へも、叔母さんにつれられて行つたものだが、そこのお神さんは叔母さんの継娘の一番上で、その家にも可也ゆつくりした浴場が二つもあり、自分の部屋をもつて、そこに一世帯かまへてゐる女などもゐて、叔母はその女の部屋で、八々をやつたものだつた。ちよつと凄味のあるその年増女は芸者といふよりも女郎と言つた方が適当らしかつたが、吉原の花魁などとは気分がちがつて、どこか暢《のん》びりしてゐた。昼は湯に浸り
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