換への和服と一緒に古いスウトケースに詰めた。私は田舎の姉が危篤だといふ電報を受取つて、息のあるうちに言葉を交したいと思つたのである。さういふことでもなければ、帰る機縁の殆《ほと》んどなくなつた私の故郷であつた。
 駅へついてみて、私は長野か小諸《こもろ》か、どこかあの辺を通過してゐる夜中《よなか》に、姉は彼女の七十年の生涯《しやうがい》に終りを告げたことを知つた。多分私はその頃――それは上野駅で彼女と子供に見送られた時から目についてゐたのだが、或る雑種《あひのこ》じみた脊の高い紳士と、今一人は肉のぼちや/\した、脊の低い、これも後向《うしろむ》きで顔を見なかつたから日本人か何うかも分明でない、しかし少くとも白人ではなかつた紳士と、絶えず滑らかな英語で、間断なく饒舌《しやべ》りつゞけてゐたのだが、軽井沢でおりてから、四辺《あたり》の遽《には》かに静かになつた客車のなかで、姉のまだ若い時分――私がその肌に負《おぶ》さつてゐた頃から、町で評判であつた美しい花嫁時代、それからだん/\生活に直面して来て、長いあひだ彼此《かれこれ》三十年ものあひだ、……遠い国の礦山に用度掛りとして働いてゐた夫の留
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