夫人と三人の子供達と一緒に同棲《どうせい》することになつて、兄夫婦は総てのものを彼等に譲り渡してしまつたので、何か以前ほどの親しみを感じては悪いやうな気がした。
 兄は長いあひだ委《まか》されてゐた礦山をおりて、こゝで静かに老後を過してゐた。勉学に耽《ふけ》りすぎて、肋膜《ろくまく》をわづらつた上の孫は、もう十九であつた。中佐である養嗣子《やうしし》の顎鬚《あごひげ》には、少し白い毛が交つてゐた。久しく逢《あ》はなかつた嫁さんは、身装《みなり》もかまはずに、肥つた体を忙しく動かして、好きマダム振りを発揮してゐた。
 数年前に重患にかゝつた兄は、健康は健康だつたが、足が余り確かでなかつた。嫂も※[#「兀+王」、第3水準1−14−62]弱《ひよわ》い方であつたが、最近内臓に何か厄介な病《やまひ》が巣喰つて来た。切開が唯一の治療方法であつたが、年を取つてゐるので、薬物療法をとることにしてゐた。
 兎に角前年私か来たときから見ると、家庭がひどく賑《にぎ》やかで、複雑になつてゐた。もう老人達だけの家庭ではなくなつてゐた。家とか財産とかがある場合に、人はやつぱりそれの譲受主を決めておかなければならないのであつた。そしてそれを譲りうける人は、早く家庭に閉籠《とぢこも》るべき気分を、醸生されてゐた。軍人とはいへ、養嗣子の分担は何か事務的な仕事らしく思へた。
 兄の方は別に精進《しやうじん》料理なので、この晩餐の団欒《まどゐ》には加はらなかつた。嬉しさうに、時々顔を出した。今度私が来た目的の半ばは、一層寂しくなつたこの兄を見舞ふことにもあつた。私は兄に万一のことがあつたら、早速駈けつけるとの嫂の希望に予約をしたが、それが誰の身のうへになるかは、誰にも判らなかつた。孰《いづ》れにしても、私達四人――大阪の嫂をも入れて――がその間近まで歩み寄つてゐることは確実であつた。でも兄は私より一まはり上であつた。
 食事がすむと、私達は茶の間へ引退《ひきさが》つて、お茶を呑みながら、閑散な話を交へた。私は姉の法事に強《た》つて招かれてゐたので、さうすると間《あひだ》二日をこゝに過さなければならなかつた。
「温泉へでも行かうか。」
 私はそんなことを考へてみたが、昨日家を立ちがけに、余儀ない人から金を借りられたので、私の懐ろはそれだけ不足してゐた。でなくとも、温泉情緒などは、私の環境からは既にこの上なく怠屈で無意味であつた。
 目の前の餉台《ちやぶだい》にあるお茶道具のことから、話が骨董《こつとう》にふれた。ちやうどさういふ趣味をもつてゐる養嗣子が、先刻《さつき》から裂《きれ》で拭いてゐた鍔《つば》を見せた。私が見ても、彫刻の面白い、さうざらに見つからない品であつた。鉄の地肌も滑《なめ》らかで緻密《ちみつ》であつた。
「これあ実際掘り出しものですぜ。」養嗣子はせつせと裂で拭いては、翫味《ぐわんみ》してゐた。
「いくらで買つて来たのかい。」兄は微笑してゐた。
「お父さんはいくらだとお思ひになります。」
「さあな。」
 養嗣子は又隣県にゐたとき、兵士の家から安く譲りうけた大小そろつた刀を倉から取出して来て、袋の紐《ひも》を釈《と》いた。作りは凝《こ》つたものであつた。私はその大きい方を手に取つて、鞘《さや》を払つてみた。好い刀を見ることは、私も嫌ひではなかつた。しかしその刀が、何《ど》の程度のものかは、わからなかつた。
 この部屋の壁にかゝつてゐるのは、彼が赴任してゐた台湾|土産《みやげ》の彫刻物であつた。そこに台湾の名木で造られた茶箪笥《ちやだんす》があつた。気がついてみると、餉台《ちやぶだい》も同じ材の一枚板であつた。
 私は又養嗣子夫婦の住居《すまひ》になつてゐる二階へあがつて行つた。総てこの家は、前に来たよりも、手広くなつてゐて、兄達老夫婦の階下の二間《ふたま》も、すつかり明るく取拡げられてゐた。
 二階の一室には台湾で造つた見事な大きな箪笥が、二つ並んでゐた。そこにも内地では見られない装飾品が幾個《いくつ》かあつた。
「手狭なものですから、不用なものはみんな倉へ投げこんでおきます。」
 私は私の軍人といふものに対する幼稚な概念からは、凡《およ》そ縁の遠い彼の生活気分を、不思議に思つた。いつか波のうへにゐるやうな、私の都会生活のあわたゞしさとは、似ても似つかないやうなものであつた。
 彼が軍職を罷《や》めるといふことも、大分前から耳にしてゐたが、今は少し忙しさうであつた。
 やがて下へ下りて来た。
「戦争はありますか。」
 私はきいて見た。
「ありませんとも。」彼は寧《むし》ろ私の問ひを訝《いぶか》るやうに答ヘた。
 私は踊り場のことを考へてゐた。昨夜料理屋の女中にきいて、この町にも一箇所踊れるところがあることを知つてゐた。
 私は何かしら行動が取りたくな
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