守をして、さゝやかな葉茶屋の店を支へながら、幾人もの子供達を育てて来て、その夫との最近の十年ばかりの同棲《どうせい》生活が、去年夫との死別によつて、終りを告げる迄の、人間苦の生活を、風にけし飛んだ雲のやうに思ひ浮べてゐた。最近一つの絆《きづな》となつてしまつた彼女の将来を何うしようかといふことが、その間も気にかゝつてゐたには違ひなかつた。
 その日は閑散であつた。私は薄い筒袖《つゝそで》の単衣《ひとへ》もので、姉の死体の横はつてゐる仏間で、私のちよつと上の兄と、久しぶりで顔を合せたり、姉が懇意にしてゐた尼さんの若いお弟子さんや、光瑞師や、まだ大学にゐる現在の若い法主《ほつす》のことをよく知つてゐる、話の面白いお坊さんのお経を聴いたりしてゐるうちに、夕風がそよいで来た。弔問客《てうもんきやく》は引つきりなしにやつて来た。花や水菓子が、狭い部屋の縁側にいつぱいになつた。
 私は足が痛くなつて来たが、空腹も感じてきた。しかしこゝでは信心が堅いので、晩飯には腥《なまぐさ》いものを、口にする訳《わけ》にいかなかつた。
「何とかしませう。」甥《をひ》は言つたけれど、当惑の色は隠せなかつた。
「今年はまだ鮎《あゆ》をたべない。鮎を食べさせるところはないだらうか。」私は二階で外出着に着かへながらきいた。
「それならいくらもあります。何処でも食べさせます。」
 手頃な料理屋を、甥は指定してくれた。私は草履をつつかけると、ステッキを一本借りて、信心気の深い人達の集つてゐる、線香くさい家を飛び出した。どつちを向いても、余り幸福ではない、下の姉や、仏の娘を初めとして、寄つてくる多勢の血縁の人達の生活に触れるのも、私に取つては相当|憂欝《いううつ》なことであつた。
 私は故郷における生活の大部分を、K―市のこの領域――といつても相当広いが――に過したので、若いその頃の姿をこの背景のなかに見出しつゝ、だん/\賑やかな処へ出て行つた。既に晩年に押詰められた私達のこの年齢では、故郷は相当懐しいものであつていゝ筈だが、私の現在の生活環境が余りに複雑なためか、或ひは私の過去の生活が影の薄いものであつたためか、他の田舎の町を素通《すどほ》りするのと、気持は大差はなかつた。
 本通りから左の或る横町の薄暗い静かな街へ入ると、直《ぢき》にその屋号の出た電燈が見つかつたので、私は打水《うちみづ》をした石畳《い
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