」と母親を逐《お》い立てた。
 母親は始終不興気な顔をして、父親が台所へ出て声をかけても、ろくろく返事もしなかった。
「酒を一本つけてくれ。私《わし》が買うから。」と、しばらく東京の酒に渇《かつ》えていた父親は、暗いところで財布のなかから金を出して、戸棚の端の方においた。
「そんな金があるなら、子供に簪《かんざし》の一本も買ってやればいい。」母親は見向きもしないで、二階から下って来た膳の上のものの始末をしていた。
「それアまたそれさ。来る早々からぶすぶすいわないもんだ。」
 お庄が弟を負《おぶ》って、裏口から酒を買って来たころには、二人の言合いも大分|募《つの》っていた。お庄は水口の框《かまち》に後向きに腰かけたまま、眠りかけた弟を膝の上へ載せて、目から涙をにじませていた。
 父親が自分でつけた酒をちびちびやりながら、荒い声が少し静まりかけると、主婦《あるじ》がまた母親を煽動《けしか》けるようにして、傍から口を添えた。
 やがて父親は酒の雫《しずく》を切ると、財布のなかから金を取り出して、そこへ置いた。
「私はこれから、浜の方へ少し用事があるで……持って来た金は皆《みんな》ここへ置きま
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