《はなさき》を光らせて帰って来たが、夜は寄席《よせ》入りをしたり、公園の矢場へ入って、楊弓《ようきゅう》を引いたりした。夜遊びに耽《ふけ》った朝はいつまでも寝ていて、内儀《かみ》さんにぶつぶつ小言を言われたが、夫婦で寝坊をしていることもめずらしくなかった。
 お庄は寝かされている狭い二階から起きて出て来ると、時々独りで台所の戸を開け、水を汲《く》んで来て、釜《かま》の下に火を焚《た》きつけた。親たちが横浜の叔父の方へ引き寄せられて、そこで襯衣《シャツ》や手巾《ハンケチ》ショールのような物を商うことになってから、東京にはお庄の帰って行くところもなくなった。お庄は襷《たすき》をかけたままそこの板敷きに腰かけて、眠いような、うッとりした目を外へ注いでいたが、胸にはいろいろのことがとりとめもなく想い出された。水弄《みずいじ》りをしていると、もう手先の冷え冷えする秋のころで、着物のまくれた白脛《しろはぎ》や脇明《わきあ》きのところから、寝熱《ねぼて》りのするような肌《はだ》に当る風が、何となく厭なような気持がした。
 お庄は雑巾を絞ってそこらを拭きはじめたが、薄暗い二人の寝間では、まだ寝息がスウ
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