ら、水に影の浸った灰問屋の庫《くら》が並んだ向う河岸《がし》をぼんやり眺めていた。
五十五
向う河岸は静かであった。倉庫で働いている男や、黙って荷積みをしている人夫の姿が、時々お庄の目に侘《わび》しく映った。碧黒《あおぐろ》くおどんだ水には白い建物の影が浸って、荷船が幾個《いくつ》か桟橋際《さんばしぎわ》に繋《つな》がれてあった。お庄はもう暮が近いと思った。
部屋を掃除してから、雑巾バケツに水を張っていると店頭《みせさき》で事務員と押し問答している、聞きなれぬ声が耳についた。会員から、会費の払い戻し請求を受けているのだということがすぐに解った。台所を働いている母親も、茶の室《ま》へ出て、気遣《きづか》わしそうに店の方へ耳を引き立てていた。勤め人とも商人ともつかぬようなその男は、社主に逢いたいと言って、物慣れぬ事務員を談じつけているらしかった。
「いやだいやだ、叔父さんは……。」と、お庄はこの前のことを思い出した。
「だって叔父さんが一人で引き被《かぶ》るわけのものでもあるまいがね。」と、母親も台所の隅に突っ立って溜息を吐《つ》いていた。
お庄は、この家をいつ引き払う
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