おだな》の通い番頭の内儀《かみ》さんも、その子供をつれてやって来た。この内儀さんは、叔母が存命中ちょくちょく芝居を見に行った。入院中も時々来て見舞ってくれた。その子供は見て来た芝居の真似をして衆《みんな》を笑わせるほど、ませて来た。お庄は子を膝に抱いて俥《くるま》に乗った。
 寺で法師《ぼうず》がお経を読んでいる間も、一回はにやけた風をさせたその子供の仕草で始終笑わされ通しであった。お庄も母親もどこかに叔母の遺《のこ》して行った物を体につけていた。お庄は小紋の紋附に、帯を締めて、指環で目立つ大きい手を気にしながら、塔婆《とうば》を持って衆《みんな》と一緒に墓場の方へ行った。
「そんなに塗《なす》くってどうするつもりだ。まるで粉桶から飛び出したようだ。」と、出がけに叔父はお庄の顔を見て笑ったが、お庄は欲にかかってやっぱり塗り立てて出た。
 帰りに衆《みんな》は上野をぶらぶらした。池には蓮がすっかり枯れて、舟で泥深《どろぶか》い根を掘り返している男などがあった。森もやや黄ばみかけて、日射《ひかげ》が目眩《まぶ》しいくらいであった。学生風の通訳の細君が、そこから一ト足先に別れて行ってから、一
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